2022年5月13日金曜日

病理の話(655) 病理医にとっての緊急案件

患者さんからとってきた臓器の全部や一部に、さまざまな処理をしてプレパラートにして、顕微鏡で見るのがぼくら病理医の仕事である。


で、この仕事、「処理工程に時間がかかる」のが弱点だ。目の前で苦しんでいる患者がいて、そこから細胞を採取して、「オラッ すぐに見るぞ!」と言っても、プレパラートの準備には、薬品が浸透する時間などによって最低でも丸一日かかる。


だから病理診断は超特急の検査としては使えません。


もっとも、「丸一日」を短縮するための努力なら、ある。手術の最中に「迅速組織診」という判定を行うときは、普通なら薬品を使うところを「凍結処理」ですませてしまう。これによって1日かかるはずの工程がなんと15分程度で終わり、ただちに顕微鏡で見ることができる……。


……のだけれど、このときのプレパラートの質はとても低い。そこにがんがあるかないか、くらいはなんとか見分けられる(でも難しい)のだけれど、そのがんが「どのようながんか」は、判別できなかったりする。やはり、「本来必要な処理をぶっとばす」ことには無理があるのだ。


というわけで、原則的に、検体を採取してから病理医が顕微鏡で見るまでの間は1日くらい時間をかけたほうがよい。


ところで病理医は一度に何十人もの患者のプレパラートを相手にするが、これらをぜんぶ同時に見て考えられるわけではない。「検査室に持ってきた順番」にしたがって番号をふって、その番号順に顕微鏡を見ていくことになる。

たとえばぼくが月曜の午後に見るプレパラートの枚数は、150枚~250枚くらいだ。これだと、仮に、1枚30秒で見たとしても2時間かかる。しかも数枚見るごとに(=患者ごとに)「診断文を書く」必要があるからその時間も計算しなければいけない。もっというと、診断が難しい患者の場合は1枚30秒では到底おわらない。

したがって、ぼくが月曜の午後に仕上がったプレパラート(150枚~250枚)を見るのに、だいたい……平均して4時間くらいかかる。ちなみに10年目くらいの病理医だと、この量を見るのに12時間かかる。こないだ病理診断をはじめた研修医だと、プレパラート10枚見るのに2時間かかるから、250枚だと50時間かかる計算だ。

ここで言いたいのは「ぼくが早い」ということではない。医師20年目のぼくが診断しても、ある日しあがったプレパラートをはしからはしまで見るのに、「検体作成終了から4時間くらいかかっている」という事実のほうだ。「ぼくくらい早くても4時間かかる」ということを意識しないといけない。「プレパラートって1日でできるんでしょ?」というのは所詮は理論値にすぎない。実際にはもっとかかる。

で、ほかにもいろいろ、追加検査うんぬん、みたいな話があって、たいていの病理ラボでは「検体をとってから診断が帰ってくるまでに1週間くらいは覚悟してくださいね」という告知を出している。



ね。病理診断ってけっこう時間がかかる。

それがわかっているから、数日単位で急ぐようなケースでは、主治医はそもそも病理診断をオーダーしない。

正確には、病理診断を病理医に進めてもらっている裏で、診断が付く前にさっさと治療を開始している。だから病理医はそこまで急ぐ必要がない……ことが多い。

これが、俗に、「病理医の働き方はフレックス」と言われる理由である。平日の日中に、患者さんや主治医が病院にいる間にどうしても働かなければいけないわけではない。自分のライフスタイルにあわせて、夜間や、土日に、ゆっくり診断しても十分に人びとの役に立てるというスンポーなのである。




それはそれとして、ぼくは日ごろ、めちゃくちゃ急いで診断をしなければいけない案件を主に取り扱っている。

「病理診断に時間がかかるのはわかっています! わかっていますが! この病気は、病理診断で、○○タイプの□□病、というところまで決めてくれないと、治療がはじめられないのです! 数日単位で患者はどんどん悪くなる。ああ、1日でも、1時間でも早く、病理診断できませんか?」

というケースが、まれにあるのだ。逆に言えばまれにしかないのだけれど、まれにあるのだ。


Q. 「それって、がんってことですか?」


A. いえ、たいていのがんは、数日どころか、2か月くらい待つことも十分可能です。ただし、まれに、「数日単位で悪くなるタイプのがん」もある。さらに言えば、がんでなくても、数日単位でどんどん命に危険がせまる病気もほかにいくつかある。


そういうのは、主治医がピンとくる。で、ピンと来たらどうするかというと、真っ先にぼくに電話をかけてくる。なんなら外来で、患者さんの目の前で、ぼくに電話を……いや、さすがに患者さんは別室で待たせている(と信じたい)けれど。


主治医「あ、市原~? 今いい?」

ぼく「(タメかよ)いいよ~」

主治医「急ぎでさー」

ぼく「(病理診断用電子カルテを開いて待つ)あいよー」

主治医「IDが1234567の人なんだけどさーこれ40分後に検体出したらいつ結果出せる?」

ぼく「おk いい時間に検体出してくれてありがとう。ちょっと待ってね技師さんと相談する、どこまで結果ほしい? 主診断? サブタイプ?」

主治医「ベストはサブタイプ」

ぼく「おk」

主治医「じゃあとで電話ちょうだい」

ぼく「いやもうわかった 明日の午後に第一報 明後日の昼14時に第2報でファイナルレポート出すわ」

主治医「りょ」(ガチャ)



こういうことをたまーにやります。病理医がひとつの病院に常勤している意味ってこういうところにある気がする。あと技師さんいつもありがとうございます。なるべく時間外には働かなくて済むようにこれからもがんばります。