2022年5月17日火曜日

病理の話(656) ショーではない病理診断の見せ方

神戸大学から学生さんが見学にいらっしゃった。見学と言っても1日、2日くらいの「観光的な見学」ではなくて、学外実習と呼ばれるわりとガチなやつで、2週間いていただく。


2週間あると、「病理診断」をやれる。


厳密な意味で言うと、まだ医師免許を持っていない学生が診断をしていいわけがないのだが、はたから見て「これ、病理の研修医が診断したのと何が違うの?」と思えるくらいのレベルには連れてくることができる。


ほかの臨床科の学生実習ではこうはいかない。患者さんの話を聞いてお腹を触らせてもらう(トレーニングと称して診療行為の一部を練習させていただく)ことは、実際に研修医がやっている「仕事」とは雲泥の差である。それはそうだろう、「患者に触ったり患者の内面に踏み込んだりしてもよい」という許可を得るために医師免許をとるのだから、資格がまだない人間が病院の中でやれることは少ない。


でも病理の場合は、「臓器の写真やプレパラート」という、患者から切り離された部分で診断を行うので、学生であってもやれることが多い。医師免許がないからといって「見てはだめ」ではないし、「考えてはだめ」ではない。やろうと思えば病理診断のかなり深い部分まで体験することはできる。


もっとも、深い部分まで体験することはできるが、病理診断学は浅い部分――これまで医学生が勉強してきた内容と地続きの内容――もかなり幅広くて、目新しくて、学べることが多い。「病理診断という世界の浅瀬を体験する」。湾になって外海の波があまり届かないところでダイビングの練習をするような感じだ。もちろん、水を舐めれば内海であっても溺れる。インストラクターなしでは怖くて潜れない。


というわけで、ぼくも学生さんに「浅瀬で泳いでもらう」わけだが、どのように研修をスタートすべきか?


今のところ、「見たものをすべて病理学的な用語で言語化する」ところがスタートラインだと思っている。


「言語化がスタート? そんなの決まってるジャン」


いやいやそんなことはない。かけだしの病理医はたいてい、言語化よりも先に、「絵合わせ」をやっているように思う。


たとえば、指導医(病理医)が学生さんに、選び抜いたプレパラートを渡して、

「この細胞が教科書のどの写真と似ているかを調べなさい」

とやるタイプの研修がある。この場合、まず学生は「教科書と首っ引きで似たもの探し」をする。

そして、見つけてきた写真をもって「仮の診断」をつける。

「Aという教科書に載っていたBの写真に似ているから、診断はBだと思います。」

それに指導医がつっこんでいく。こういう研修はありはありだ。


ただ、ぼくは絵合わせより先に……少なくとも絵合わせと同時に、言葉をきちんと学んでもらったほうがいい気がする。マンガ「阿・吽」で、中国に留学した空海が、密教を学ぶにあたってまずはサンスクリット語をマスターせよと命じられたシーンを思い出す。病理学で用いる言葉に早い段階で触れた方が、この世界をより縦横無尽に泳ぎ回れると思う。


だから研修は、「ぼくの言葉を仮OSとしてインストールする」ことからはじまる。



ぼく「一緒に手術検体の肉眼像を見ましょう。ここに消化管があって、パイプ状の検体が縦に切り開かれている。中に病変がありますね。ハウストラとよばれるひだがなくなって、塊状の病変が、このようなかたちで存在している。病変の辺縁の部分は隆起していて、ゴツゴツと外側に盛り上がるような形状で、内部には画然とした段差があって周囲よりも低くなっています。辺縁の隆起+内部の陥凹。このパターンを、取扱い規約では2型(潰瘍限局型)と呼びます。」

さらに、肉眼的に臓器をみて用いた言葉を、プレパラートで見る細胞の姿と照らし合わせていく。

この間、研修はずっと「受け身」である。



「受け身」を、どこから能動的な研修に切り替えてもらうかが、いつも難しい。黙ってぼくの話を聞いてもらうだけならば、それはYouTubeでやればいい。学生さんがわざわざ遠いところから当科に研修にやってくる意味が薄れる。

どこかの時点で、ぼくが言葉を叩き込むのではなく、自分で顕微鏡を見ながら言葉を探しに、学生さんが能動的に動けるようにしなければいけないと思う。仮インストールした「ぼくの言語というOS」を用いて、学生さんが「自分の言語というOS」にアップデートしてほしい。それを2週間でやってもらいたいのだ。



それをやろうと思うと、指導医がおもしろいと思う症例を、ショーアップして見せるだけではうまくいかない。それは「ぼくのOSがおもしろいと判定したもの」に過ぎないからだ。まあ、指導医がおもしろがってりゃ、研修医だって学生だっておもしろがるとは思うのだけれど、それではちょっと物足りないと感じる。気概的な意味で。



学生さんが自分自身で「これは……こういうことだろうか?」と、考えながら顕微鏡を見て、自分で顕微鏡を見ることで湧き上がってくる疑問をすかさず横にいる指導医に(自分の言葉で)質問できること。それに、その場で指導医からの回答がもらえるという状態。

これを作り上げることが必要になってくる。



ぼくがただしゃべるだけではなく、学生がただ座学をするだけでもない、指導医と研修者との関係が構築できるまでにかかる時間が最低2週間くらいだ。この2週間で、大腸癌の病理診断の「下書き」を、だいたい4例くらいできていると理想的である。2.5日かけて1例をじっくり見て、専門用語を覚え、診断のプロセスを覚え、もし将来自分が病理医になるとしたら、だいたいこうやって働けばいいのだなという「感覚」を掴んでもらう。


……と、理屈はまあ、固まってきたのだが……。実際には毎回四苦八苦だ。これでよかったのかなあ、ということをいつもブツブツ考えている。