座り続けるためにも筋力が必要である。ふとももあたりが薄くなってきたせいか、長時間デスクにいると足先などがしびれてくる。できるだけ長く座って働くために、歩いたり走ったりを欠かしてはいけない。座業のためには下腿の筋力が必要なのだ。最強のデスクワーカーとなるためには定期的な運動をすべきなのである。
こういう「本末(?)の転倒」は、けっこうある。
患者と会わずに顕微鏡に向かう仕事をしているぼくは、「顕微鏡の世界」を解析して、他の医療者に解説する。「顕微鏡以外の何者とも会話せずに働く」ことがメインだけれども、その専門性をきちんと追求するにあたっては、自分がどれだけ独特なことをしているのかを周りに説明できる能力が必要だ。つまり、人とコミュニケーションせずに働くためには、コミュニケーション能力を鍛えるべきである。
まだある。
学会・研究会などで医療者相手に講演をする。講演が終わった後にアンケートをとり、どこがわかりにくかったか、というのをフィードバックしてもらう。ただしこのとき、「講演後にアンケートを書く人というのは、アンケートに何かを書いて伝えようという気持ちがある人」であることに注意が必要だ。アンケートを書いてくれた時点で、講演から何かを受け取って、感想がきちんと存在している人なのだ。逆に言えば、「講演を聞いてもなんかよくわからなかったし、どこがわからんのかもわかっていない人」は、アンケートを書かない。アンケートによって自分の講演を改良しようとするとき、アンケートを書かない人の話を聞くようにしなければいけないのである。
まだある。
あらゆる仕事はとにかくコミュニケーションだ。しかし、実際には、さまざまなディスコミュニケーションが存在する。人びとはみな、「自分なりのコミュニケーション手法」でしか世界と交われなくて、その手法というのはこの世にある言語の数よりも多い。「コミュニケーション能力を高めろ!」という目標はけっこうだが、自分なりの「言語能力」を高めたところで、そもそも違う言語で思考している人同士とは、いつまで経ってもコミュニケーションは良好にならない。極論すれば、「コミュニケーションなんか失敗したっていい、多少通じなくても仕事はできる」という状態にまでシステムを高めることのほうが大事ではないか。仕事がうまくいかない理由がすべてコミュニケーション・エラーに帰されてしまう状況こそ、あぶなすぎるのだ。すなわち、コミュニケーション効率を高めたい場面が発生したら、そこで真にやるべきは、コミュニケーションに頼らない部分でいかに仕事を盤石にすすめていくかと、コッソリ裏で考えておくことである。
まだある。
言葉を尽くして何かを伝えたいとき、できるだけ深い意図を知らしめたいとき、言葉を使えば使うほど読まれない。大量のニュアンスを伝えたいと思ったら短く書くに限る。
あるけばかっこういそげばかっこう(種田山頭火が登山をしながら読んだ句)