2022年7月21日木曜日

病理の話(679) 将来の悪を予想する

ある病気についての相談を受けている。メールしてきた相手はほかの病院に勤める医者で、ぼくと一緒の病院で勤務したことはないが、各種の学会・研究会でこれまで顔を合わせてきた先輩だ。

この方は、ときおり、病理診断でわからないことがあるとメールしてくる。

メール受信したときに差出人欄にその方の名前が見えると、「ぐっ」と緊張する。なぜなら、この方の疑問は、なかなか一言でズバッとお答えすることができないような「難問」が多いからだ。


今回はこのような質問だった。


「先日、ある患者の病気をとって病理検査に出したら『○○』という診断が来た。論文を調べてみると、『○○には、まれに悪性のものがある』とのことだ。では、今回の病気は、良性なのか悪性なのか、どちらなのだろうか?」


うーむ大変だ、しっかり調べてお答えしよう、とぼくはあちこちの教科書を引っ張り回す。


この方の疑問に答える前に、少し用語の解説をしておこう。



・「患者の病気をとって」というのは、病気がカタマリになっているので、手術でとりきることができたということだ。あたりまえじゃん、って? いや、そうでもないよ。たとえば「糖尿病」は手術でとることができない(カタマリをつくらない)病気ですよね。

・良性、というのは、「とってしまえばそれで根治する」という意味である。

・悪性、というのは、「放っておくと、あるいは手術でとったつもりでも、再発したり、ときには転移するなどして、最終的に患者の命にかかわるかもしれない」という意味だ。さらっと書いたけど、「悪性イコール死ぬという意味ではない」ので気を付けて欲しい。「かもしれない」なのだ。「悪性であっても早い段階で見つけたら死なないかもしれない」。

・良性か悪性かというのは、基本的には「診断名」と切っても切れない。たとえば、「がんです」と診断されたらそれはイコール悪性ということだし、「過形成性ポリープです」と診断されたらそれはイコール良性ということである。診断をくだすという作業は、通常、「良悪を決定する」ことを含んでいる。

・でも、まれに、「○○」という診断がついただけでは「良性か悪性かわからない」、つまり、その患者が今後どうなるかが予測できないということがある。

・今回はそういうケースだ。




診断とはなんのためにするのか? 医者が満足するため? 患者が納得するため? いやちがう、「この先どういう治療方針で行くかを決めるため」である。

より根本的なことを言うならば診断とは未来予測だ。「あなたはもう治りましたよ」「あとはもう放っておいて大丈夫ですよ」という宣言や、「あなたはここから治療をしたほうがいいですよ」「手術をしたあとも毎月病院にきて検査をしたほうがいいですよ」という宣言がある。これらを病名という言葉でまとめたものが診断だ。

しかし、未来は、予測できないことがある。

だって未来だからだ。

病気の診断を天気予報といっしょだというと怒られるし、不安になるかもしれない。でも、本質はそういうことなのである。未来のことを予測してそれに備えるための「診断」だ。

そして、未来はいつも予測できるとは限らない。



先にことわっておくと、病理医が「がん」と診断したもののほぼすべては、統計をとっても、遺伝子をしらべても、顕微鏡で細胞の動向を確認しても、「悪性」と判断できるだけの十分な根拠がある。病理診断は、「未来なんて絶対わからない」というたぐいの予測ではない。今の日本の科学力だと、翌日の天気予報がはずれることがまずないのといっしょで、「良悪のどちらかを決めること」自体は、かっこたる証拠がいっぱいあるので、ほとんどの場合は迷わない。


でも、「まれに」あるのだ。良性とも悪性とも決めきれないような微妙な病気が……。




そういうとき、病理医は、多くの文献を参照しながら、顕微鏡の中にあるマニアックな「所見」を集めていくことになる。


細胞密度:病気をかたちづくる細胞が、どれだけ「密」にそこにあるか。密であればあるほど、「急いで増えようとしている」ことの間接的な証明となる……ことが多い。

細胞形態:細胞そのもののかたち。本来、細胞は適材適所で、場や機能に応じたかたちをしているものだが、それが崩れている(役割を忘れている)かどうか。

核/細胞質比:細胞をかたちづくるプログラムが入っている核(司令室みたいなもの)と、細胞質(細胞の手足にあたる部分)との比。一般に、核ばかりがでかくて細胞質が相対的に小さいと、あたまでっかちで機能がないということになり「やばみがある」。

核の色調と核小体:通常、病理医がもちいる染色(H&E染色)では、核内にあるDNAの束を青紫色に染めているのだけれど、この染まり方が違う場合、細胞がなにやら「まずいプログラムを大量に走らせている」のではないかと推察できる。

多形性:同じ病気の中にある細胞を見比べたときに、こっちとあっちでまるで形状が違う場合はけっこうやばい……とされる。ただこれは判断のしかたがやや特殊なので短い日本語だけでは説明がむずかしい。

多数の核分裂像:増える気まんまん!

壊死:病気の中で不規則に「細胞が死んでいる」ときは、その病気がいろいろ内部統率が取れていないことを意味する。アウトレイジ感。



これらの項目をぜんぶ確認して、なお、「良悪どちらかわからない」というケースは存在する。

しかし、「調べずにわからない」のと、「調べても確定的な所見がでてこないので決めきれない」のとでは、ニュアンスが違う。

今回の病気では、「このような見た目だとより悪性を考える!」というチェックリストがぜんぜん埋まらなかった。悪性のかっこたる証拠はない。

その上で、「さまざまな文献を参考に細胞を確認した結果、悪性とは言えないが、絶対に良性と言うだけの根拠もない。再発がないかどうかをチェックしたほうが患者も医者も安全ではないか」という結論を用意する。

あやふやで、議論が必要ではあるけれど、まずは病理医の立場からそのように述べる。



天気予報でいうところの、「降水確率何パーセントだったらどういう靴を履いていくのか」という判断に似ている、かもしれない。絶対雨が降る(あるいはすでに降っている)なら傘も持つし靴も水が浸みにくいものを選ぶだろう。しかし、降水確率20%となると人によって判断の仕方は変わるだろう。ここからは価値観をすりあわせながら相談するフェーズだ。医療者と患者が納得できるところまで話を詰めるために、病理医はひたすら「議論のタネになる素材」を集めて提示するのだ。