不受理という言葉からは「ふじゅり…」と湿気を感じる。しかし実際にはreject(リジェクト)という英単語で言い表すことが多く、どちらかというと乾いた打撃を思わせる語感である。
学術論文は、苦労して書き上げてもけっこうな確率でリジェクトされる。雑誌にもよるが、投稿された本数の8割を門前払いならぬ門前リジェクトしているのが一般的だ。では、リジェクトされなかったらそれでOKかというと、そうでもなくて、編集部のOKをもらうと今度は複数の「査読者(さどくしゃ)」と呼ばれる人たちによる審査がはじまる。査読・審査のことをreview(レビュー)とも呼ぶ。
レビューの結果、論文のここのところがわかりにくいから直せとか、ここは議論がこんがらかっているからわからないとか、そもそもお前らの言うことは本当に正しいのかといった指摘がやってくる。
この指摘に対して、返答の手紙を書き、論文を書き直して再投稿し、また査読を受け……というのをくり返して、最終的に「受理」されれば、ようやく学術論文が業績になる。
受理という言葉からも「じゅり……」と湿気を感じる。しかし実際にはaccept(アクセプト)という英単語で言い表すことが多く、なんとなくではあるが乾いた打撃を思わせる語感である。
ちなみに……論文を投稿することをsubmit(サブミット)という。
投稿という言葉からは「とうこう……」と、やや硬い物性を思う。しかしサブミットという英語からは、なんとなくではあるが、少し粘性の高まった物体の中に何かをめりこませたときのような語感を覚える。
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先日、『映像研には手を出すな!』の最新第7巻を読んだ。すばらしかった。文句なし。
この7巻を読んでいる最中、ぼくは、「浅草氏が世界に対して何かをサブミットしている」ところを思い浮かべていた。
以下、最新刊のネタバレである。核心には一切触れないが確実にネタバレなので注意してほしい。
浅草氏というのは主人公のタヌキでありドラえもんだ(これはまあネタバレではないと思う)。
アニメでは声を伊藤沙莉があてていた。よい演技だった(これもネタバレではないと思う)。
浅草氏はやりたいことをやりたいようにやる。しかしその結果を、ある人物に「わかりにくい」と評される。
浅草氏は「リジェクト」を感じて打ちひしがれ、さまよう。
しかし浅草氏はそれが「リジェクト」ではなく「レビュー」なのだということをわかっている。
だから浅草氏は、自分のやることが「誰かにわかられるかどうか」という目線で、自分の作るものを調整していく。
「やりたいことをやる」のと、「わかってもらえるようにやる」のとを両立するのは難しい。
しかしそこを、深く、鋭く、調整し続ける。
サブミットして、リジェクトに近いレビューを受けて、応答するために懊悩し、リ・サブミット(再投稿)をこころみる。
少し粘り気があって、沈み込むような、縁日のスライム、あるいはヨギボー的な物質の中に、自分で作ったものをドスン、ドスンと打ち込んでいく。サブミットをくり返すということ。
それはとても美しいことなんだなとぼくは思った。ぶちのめすまでやるのだ。