2022年7月13日水曜日

ツイッターをはじめてからずっと増え続けていたフォロワー数が減り始めた。


ぼくはわりと、「フォロワー数は多いほうがいい」と思っているほうの人間である。さらに言えば、フォロー数が多いほうがなおよい。それだけ飛び交う情報量が増えるということだからだ。少数の人とじっくりやりとりをしたいならばSNS以外を使う。生活の一部にあえてSNSを使うからには、フォロワー/フォロイーが多いに越したことはないと(いまだに)感じている。

もちろん、SNSを狭く細く使うことも可能で、そのような運用に魅力を感じる人もいるだろう。ただぼくはそうではないということ。

そんなぼくにとって、SNSを続けていてフォロワーが減るということは、「原因くらいは考えておこうかな」という行動に自然とつながる。


なぜフォロワーが減っているのか。

近頃、ツイート回数が激減しているから。シンプルにそこに原因がありそう。

「毎日バカスカツイートすること」が他者にとっての価値だったのだろう。

テレビにもラジオにも新聞にも言えることだけれど、「毎日そこにある」というのはたしかに価値だ。ここで思わず「テレビでもラジオでも新聞でも」と例をあげるあたりが中年たるゆえんである。「スマホにも言えることだが」の一言でスマートにまとめればよかった。スマートホンだけに。



ツイッターをはじめたばかりの人が「何をつぶやいたらいいのだろう」というとき、別になんでもいいんだけれど、好きなものの話をするのがとりあえずは訓練として一番いいんじゃないかな、みたいなことを伝えてきた。そして自分自身が、好きな本の話を週に一,二度しかできず、増えすぎたフォロワーをじわりと減らしている今、初心に返って「ツイッターをはじめたばかりの人」を演じて再び好きなことばかりを熱心にツイートするかというと、それはおそらくやらないだろう。

仕舞いが見えてきたのだと思う。

過剰な接続を整理して切断をすすめ、増えすぎた思考の一部を仮固定して決定する前に実行し、自分なりの最前線に手を振って、SNS思春期ならぬSNS思秋期を過ごす。おどろくべきことに、SNSを生きるにあたっては、秋が一番長いのである。ここからが秋だ、根拠はないが、ぼくにはそれがわかる。

秋の過ごし方。

運動の秋と称して自分がこれまでに作ったつながりにバカスカカロリーを流し込むタイプの人もいれば、食欲の秋と称して満腹中枢ぎりぎりまで摂食するタイプの人もいる。ぼくは読書の秋を過ごすことにする。晴耕雨読は夏までだ。