そもそも、病理AIの開発とは?
「病理診断」が、どのように行われているのかを細かく分析し、その過程のいたるところに「AI」という道具を導入することで、新しくできることがないか、あるいは効率がよくならないかと、試行錯誤していくことを言う。一般的には道具そのものを作る作業だと思われているけれど、本当はもう少しいろいろなことをやっている。
そう、「AI」とは、道具。
これがたとえば「ハンマー」とか「ノコギリ」のような、単純な構造をしている場合は、ハンマーをどの角度で振り下ろせば釘が効率的に打てるかとか、ノコギリをどれくらいの力で引けば木がきちんと切れるか、みたいなことを検討することで、すぐに大工仕事の効率が上がっていくのだが。
「病理AI」はもうすこし、いや、かなり複雑な道具である。だから研究者の中には、「AIってのは単なる道具じゃないなあ」と感じている人もかなり多い。
木を切る例で言うなら、ノコギリではなく電動チェーンソー、それも切る場所やスピードを勝手に調節してくれるさまざまな機能付き……みたいな感じだ。途中からなんだかロボットとかアンドロイドのイメージもかぶってくる。
さまざまなメカニズムが折り重なっていて、そのメカニズムひとつひとつに「開発」の芽が眠っているし、メカニズムどうしのバランスを整備していく作業も必要。
つまり、「AI開発」と一言で言っても、そこにはものすごくいろいろな研究が含まれている。
さきほどのノコギリ・チェーンソーの例に戻って考えよう。チェーンソーに対する研究とは?
たとえば、
「チェーンソーの歯を効率よく研ぐための石を採掘するためのショベルカーの運転免許をとるにあたって必要な運転免許試験場に配備する練習用の重機の組み立て方」
を研究している人がいたりする。
チェーンソーの歯を効率よく研ぐための石を採掘するためのショベルカーの運転免許をとるにあたって必要な運転免許試験場に配備する練習用の重機の組み立て方を新たに考え出した人が、「自分はチェーンソー開発に携わっている!」と言うことは、間違ってはいない。
しかし、はたからみると、「えっそれ、重機の組み立て研究じゃないの?」としか見えないだろう。
思わず、「それがチェーンソーで木を切る役に立つの?」とも言いたくなってしまうだろう。
ノーベル賞受賞者にメディアの方々がインタビューするときに、「それは何の役に立つのですか?」という質問をぶつけてしまうのと、本質的には同じ構造なのだが、実際に病理AI開発に携わっていると、うん、無理もないなあ、と感じることもある。
研究の最先端だけをクローズアップして見ると、「これってチェーンソーとは似ても似つかない重機の話じゃん」となってしまうし、「その重機を組み立てられるようになったからって、今ここにある木がうまく切れるわけじゃないよね?」とつっこみたくなる。しかし、つながっているのだ。それは必ず診療につながっている。かなり俯瞰して、かなり未来を読まないと、自分が今やっていることがいつか患者の役に立つとはなかなか考えがたいのだが、それはいつかどこかで役に立つ……し、ま、ぜんぶひっくり返すようなことを言うと、「役に立たなそうであっても研究開発することはいいこと」なのだ。
だって、重機の組み立て方を研究したら、チェーンソー以外にもなんかとんでもないところで応用が利くかもしれないだろう。それに、重機の組み立て方そのものだって、知的好奇心を刺激するものに違いはないのである。