2022年7月26日火曜日

松木安太郎はぜんぶやった

今日はやることがあんまりないなーと思っても、いざ出勤してみると、深夜にメールが届いていてそれに返事をするとか、電話がかかってきて問い合わせに答えるとか、新しい仕事の依頼が来てto doリストを書き直すとか、まあなんかそうやっているうちに午前中が終わっていく。

今の「午前中」の部分を「人生」に置き換えるような文章をたまに読むのだけれど、人生は「まあなんかそうやっているうちに」で言い表せるほどでもないなと、今のぼくは考えている。わからないが。





忙しくてもヒマでも落ち着かないように脳はできている。

情報=ボールが飛び込んできて、それを脳の中でいったんキープ=ドリブルして、少しピッチを移動してから誰かにパスなりシュートなりをしていくのだが、このとき、ボールが複数飛んでくると大道芸みたいになる。脳がパンクする(ボールもパンクすることがあるがそれはやばい)。でも、ボールがまったく回ってこないとそれはそれで「なんで俺ゲームに出てるんだろう」みたいな気持ちになる。そういうめんどくさいサッカー選手みたいな性質が、脳にはある。





立場がつくる仕事量。

若いころはとにかく自分で仕事をとってこなければ「ボールが回ってこないサッカー選手」である。出場機会を得てもパスがこないとアピールできない。ルーズボールを奪い取りに行くとか、高い位置からプレスをかけてパスカットをするとかして、なんとか自分の足元にボールをおさめて、そこから無駄に個人技で魅せてからなるべくシュートでプレーを終える。すぐパスすると見せ場にはならない。多少遠い位置でもロングシュートを狙う。結果的に、シュート精度があまりよくなかったり、決定的な場面でパスが遅れたりするけれど、「あーあいつがんばってんなー」というのを、監督やコーチ、同僚は、まあそれなりに、見ている。

で、試合出場機会が増えて、ポジションが「要」に落ち着いてくると、黙っていてもパスは来るようになるし、「パスの来やすいスペースにあらかじめ走りこんでおく」くらいの知恵もつくようになる。敵のマークを外してからパスをうけないと、いざパスが来てもディフェンダーに競られて前を向けなかったりする。経験が増えるにつれて、パスを受けた瞬間の「最初のトラップ」が上手になり、ワンタッチで敵を二人かわしていい体制からいきなりシュートを打って決める、みたいなことも可能になる。ファンタジスタみたいな、ゴラッソ的なゴールも決まる。もちろん敵のマークはきつくなる。

ベテランとなるとプレーはシンプルにせざるを得ない、なぜなら体力が落ちてきているからだ。しかしベテランなのにピッチに立っている人というのはその経験と実力を買われているわけで、パスはいつも決定的な場面で自分にやってくるし、敵も自分の癖を知り尽くしているからいやな守りをしてくる。それに対して、すごく運動量を増やして走ってぶっちぎるみたいな攻め方はできないので、芸術的なダイレクト、顔を振って視線で誘導するだけの高度なフェイントなどで、「テレビで見ているといとも簡単にやっているような、でも実際には技術と経験が詰まったシンプルなプレー」で、最小限の動きで最大の結果を出すようになる。さらにはゲームの経験が長い分、ピッチにいるほかの味方をうまく使うやり方を熟知しているので、サイドを変えるとかオーバーラップを待つとか、双方の息が抜けた瞬間にスルーパスを出すといった、「えっそこでそんなやりかたが!」みたいな技術も身に着けている必要がある。というか、身に着けていないとベテランでピッチに立ち続けるのは無理だ。足の速いだけの若手にポジションを奪われることになる。「昔の、がむしゃらでサッカーを知らなかったころの自分」にポジションを奪われるほうの立場になっている。

選手としての寿命を終えてコーチになる。すると自分が担当していた以外のポジションの選手を今まで以上に見なければいけなくなる。センターバックは基本的に敵のピッチ側(180度)を見て対処をするが、ボランチやトップ下の選手は自分の周囲360度すべてとパスのやりとりをする必要があるし、フォワードだといかに前を向いてゴールを狙うかが求められる場合と、逆に味方のほうを向いてポストプレーをする場合とで戦い方を微妙に変えなければいけない。現役時代はこのどれかを選任して担当していたのに、コーチになると全員に的確なイメージを与えなければいけないし、やり方がわかっていない人には自分がお手本となって重心のとりかたや体の動かし方を指導していく必要がある。監督から話しかけられる、スカウトから電話がかかってくる、控え選手から相談をうけ、レギュラーのメンタルサポートをカウンセラーと詰める。







仕事がないなーと思っていちおう出勤した朝のぼくの忙しさはさしづめ「コーチの忙しさ」なのだ。プレーしているわけではないけれど目配りする範囲が広くてやることが多い。その後、ルーティンワークがたまってくるときのぼくはエース……いや、すでにベテランのやり方をしなければいけない感じである。夜になって学会や研究会の病理解説や講演の仕事が入ると、重い体に鞭を入れながらエースの気持ちに戻る必要がある。若いころのぼくを見ていた監督やコーチの顔を思い浮かべている。今日のブログは解説者として書いている。