2018年3月9日金曜日

病理の話(178)

ぼくが今の病院に勤め始めたころ、ボスに連れられて院内を案内されたとき、地下にある窓のない部屋に「電子顕微鏡」が置いてあった。

透過型電子顕微鏡。

かつては全国の多くの病理検査室でそこそこ頻繁に使用されていた、非常に高価な装置である。

ボスに案内されて部屋に入ると、芸能人のウェディングケーキのようなサイズの電子顕微鏡が部屋の中心に鎮座していた。よく見てみると両目でのぞく接眼レンズがあるので、ああこれは確かに顕微鏡だとわかる。しかし、一見した印象は、日頃ぼくらが使っている顕微鏡のそれとはだいぶ異なっており、どちらかというと天体望遠鏡のすごいやつを想像した。興味のある方はぜひググってみてください。


現在も、軟部腫瘍というまれな腫瘍や、腎臓の腎炎という病気の診断、あるいはもっと基礎的な研究のために今でも透過型電子顕微鏡は使われているが、少なくともぼくのような市中病院の病理医が「電顕(でんけん)」まで使うことは極めて稀である。ぼくが11年前に病院を案内されたときにはすでにほとんど使われない品となっており、処分するにもでかいし高価だしで、なかば厄介者扱いだった。その後、数年経って、完全に撤去された。今では当院に電子顕微鏡はない。



ぼくらが普段使っているのは「光学顕微鏡」。

臓器を「切り出し」して、4μmという薄さに薄切(はくせつ)して、HE染色などで色をつけて、光をあてて見る。細胞ひとつひとつがどのように並んでいるか。細胞が寄り集まって作った構造。細胞の中に含まれている核の形状。これらをみて、ぼくらは診断をする。

電顕がみるのはこれよりさらに一段ミクロの世界だ。

試料は約0.5 μm程度に切るのだそうだ(実はぼくは医者になってから15年、いちども電顕を使ったことがない)。これだけの薄さの試料を作るためには、特殊な装置……というか特殊なカンナ(ミクロトーム)を用いる。電顕用のわずか0.5 μmの試料は、なんと「ダイヤモンド製のナイフ」を使うらしい。

さらにできあがった試料は電顕用に染色をほどこされるのだが、トルイジンブルーという染色液のほかに、ウラン化合物のようなちょっとヤバイものも使う。そこまでしないと、光学顕微鏡を超えたミクロの世界というのはうまく可視化できないのだ……。



かつて、軟部腫瘍や腎臓病に限らず、電顕は「光学顕微鏡だけではみられないもの」をみるのに大活躍した。日々の診断においてもしばしば電顕が用いられた。さらに、ぼくら病理医は「まれな病気」に遭遇すると学会報告をしたり論文を書いたりするのだが、「論文に電顕の写真をつけないと(電顕できちんと超ミクロを確認しておかないと)、まず掲載されなかった」という時代が長く続いたのだという。

脂肪滴。アクチンフィラメント。ミトコンドリア。さまざまな超微構造が、電顕によって証明された。



さっきちょっとだけ天体望遠鏡の話をしたから、望遠鏡を例えに使おう。あなたは望遠鏡を除いたことがあるか? 月食を観察したことがあるとか、展望台で100円を入れるタイプの双眼鏡なら覗いたことがあるとか、そんな経験があればわかっていただけると思うのだが……。

「超拡大」すると、自分が今どこを見ているか、すぐにわからなくなるだろう。

しかも、ちょっと手元がずれるだけで、視野の中に入っていたお月様があっという間になくなったり、展望台から探していた自分の家の屋根がわからなくなったりするだろう。

電顕もこれといっしょなのだ。実は、うまく自分の撮りたい写真を、撮りたい画角で用意することが難しい。



昔の人たちが必死で撮影して、今の教科書にも残っているような電顕の写真というのは、あれはもうコンテストの優秀作品みたいなものなのである。実際にはなかなかあそこまで撮れない。



さて、そんなキワッキワの技術であった電顕がすっかり廃れてしまった理由はいくつかある。その一番大きい理由は「免疫染色」だ。

ダイヤモンドナイフに放射性物質を用いてスーパーミクロを観察しなくとも、免疫染色という技術でタンパク質を定性してしまえば、診断には必要十分だったのである。

さらに、各種の遺伝子解析技術が進歩したことも大きい。それまで我々は、あくまでミクロを拡大してカタチをみるしか病気の姿に迫れなかったのに、今では人体や、あるいは病気そのものをコードするプログラムを直接見に行けるようになった。




今でも電顕は一部の研究施設などで「現役」で用いられている。病気の診断に利用しなくなったというだけで、ミクロの構造を解析すること自体には大きな意味があるからだ。だから別に電顕というのは廃れた技術ではない。ぼくのような比較的若輩の病理診断医が、「もう使わないもんなー」と勝手にノスタルジーを感じているにすぎない。


……けれども。

そうなんだけれども。

ぼくの勝手な印象であるが、透過型電子顕微鏡で撮像された、あのグレースケールのスーパーミクロ写真をみていると、ぼくはなぜか、医療の歴史とか科学の系統樹のようなものをふわふわと思い浮かべて、ああ、どんどん変わっていくんだよなあ、と勝手にセンチメンタルな気分になってしまうのである。それをいうならナノメンタルだろうって? あ、なんでもないです。