2018年3月7日水曜日

病理の話(177) 仲野先生と病理学のベストセラー

大阪大学・仲野先生の「こわいもの知らずの病理学講義」が売れ続けている。

仲野先生の本業は生命科学者だが、「Honz」や「本の雑誌」などの書評ウェブ・書評雑誌をみるとたいてい医療書ではない本の書評を書かれているし、日本医事新報のコラムも「無属性コラム」であって、なんというかマルチなご活躍ですごい。

その仲野先生が「病理学」の本を書いたから、飛びついて読んだものだ(もうけっこう前になる)。一般向け書籍なのに妥協せずに病理学の話を書いているなあ、すごいなあと感心した。

ぼくと同じように、ツイッターのタイムラインにも、この本の感想をつぶやいていた人が何人かいた。ただ人によって感想が少しずつ異なっており、ぼくが最初思いつかなかった視点もあって、これがなかなか興味深い。

「病理学って書いてたけど、病理医があんまり出てこなかったよ」

「病理学っていうかあれ医学そのものじゃないの」

ああ、そうか!

病理学と病理医の仕事はイコールじゃないってこと、ふつうはわかんないよなあ……。



そもそも「病理学」は、医学部生が必ず習う項目のひとつである。看護学生なども習う。

医療系学生諸君は、生化学、生理学、病理学、薬理学、細菌学といった「基礎医学」をまず習ってから、いわゆる内科とか外科とか耳鼻科産婦人科泌尿器科のような「臨床医学」を習うようにできている。

基礎→応用。

理論→実践。

ほかの学部のことはあまり知らないのだけれど、どこの学部もだいたいこういう習い方をしているのではないかな。

医学部生が習う「病理学」は、あくまで基礎だ。しかし、根底を担う理論であり、重要性も高い。

「こわいもの知らずの病理学講義」は、まさにこの、基礎学問を扱った本である。

すべての医療者が学部時代に一度は習う、基礎病理学。

決して簡単ではない。けれどそこはさすがの仲野先生だ、病理学のガチの教科書を読むより何倍もわかりやすい(それでも難しいとは思うが)。




さて、この本を買って内容を完璧に覚えたら「病理学のマスターだから病理医になれる」?

実はそうではない。

「病理学マスター=病理医」、ではないのだ。

「病理学マスター」は、「あらゆる医療者になるうえで必要な、病気の知識を得た状態」である。

内科医だろうが外科医だろうが、病理学講義の根底に流れているものを理解せずには医者ではいられない。

逆に言えば、別にあなたが「病理医」というマニアックな仕事に興味がなくても、もし医療者に興味があるならば「病理学」を勉強する意味はあるということになる。




実をいうと病理学には2種類ある。

「基礎病理学」という、あらゆる病気のうらにひそんでいる法則のようなもの……炎症とはなにか、代謝とはなにか、再生とはなにか、腫瘍とはなにかといった「メカニズム」を学ぶ学問。これが仲野先生の教科書に書かれている。

これに加えて、「臨床病理学」あるいは「外科病理学」という、より実践的で臓器ごとに具体的な病気を勉強する学問がある。

前者がキン肉マンのカメハメ48の殺人技で、後者が52のサブミッション……あれこの話前にも書いたかな?

あらゆる医療者の中で、病理医だけが特にくわしく、専門にしているのは、「外科病理学」のほうだ。特に「組織病理学」。これは学部時代にはとても習いきれない。習いきれないし、普通の医療者は完璧に知る必要がない。




仲野先生が「病理学講義」と題してまとめあげたのは、多くの医療者が知っているべき「基礎病理学」のほうだ。題材の選び方がすばらしい。病理医になりたいという酔狂な人間や、病理医のマンガ・ドラマで病理の世界に興味をもった人だけを対象にした本ではなく、もっと広く、医学って結局なんなんだ、人体とはなんなんだという、「ヤマイの理(ことわり)」に興味をもつ向けである。




……で、まあ、すごい売れているそうだ。

ぼくは正直びっくりしている。「人体はなぜ定年を迎えるのか」みたいな新書風タイトルとか、「現役生命科学者が医学部の講義をおっちゃんおばちゃんにわかるように再現してみた」みたいなYouTuber風タイトルだったら売れるのはわかる。でもこの本は「こわいもの知らずの」という冠がついてはいるけれど、「病理学講義」というお堅いタイトルなのだ。それなのに、あんなに売れるなんて……。



医学のことってほんとはみんなちゃんと勉強したいんだろうな。