教科書を通読していた。「唾液腺腫瘍の組織診・細胞診」という新刊である。ぼくは別に唾液腺腫瘍の専門家でもなんでもないのだが、ふと読んだ前書きに心を奪われて、15000円という大金を支払って手に入れた。
ぼくがぐっときた前書きをまるごと引用してもいいが、それはまあちょっと下品かなあと思うので、要約させてもらうことにする。
前書きにはこんなことが書いてあった。
「唾液腺の領域において、いくつか教科書が出版されている。
多くの病気がきちんと記載されていてたいしたものだ。
けれども、唾液腺は病気の数がすごく多いので、誌面の都合でひとつひとつの病気に十分なページを割けていないことが多い。
また、唾液腺の病気は数が多く、ひとつひとつがまれであるため、ひとりの病理医が一生かけてもすべての病気を経験することはまず無理である
そのため、教科書には多くの執筆者が招集されて、それぞれまれな症例をもちよって、自分の経験した病気だけを執筆するようになる。
すると、書く病理医ごとに、語彙とか言葉の使い方とか論述の仕方が微妙に異なっているので、教科書を通じて書き方が一定しなくなる。
まあ、各項目を必要に応じて辞典のようにひくぶんにはそれでいいのかもしれないけれど。
『通読』しようと思うと骨がおれるではないか。書式が一定しないのだから。
そこで私は、通読に耐える教科書をつくるため、ほとんどぜんぶ自分で書いてみた。」(※あくまで意訳です)
ぼくは思わず小さく声を出して笑った。くくく。
「教科書が通読できないのが不満」だなんて。
いいなあ!
今の時代、新聞を隅から隅まで読む人は少数派となった。そもそも新聞なんかとってない人のほうが多いし。
早く読めればそれが価値。
ピンポイントで自分の知りたい情報にたどり着けることが至高。
個別のニーズに応じたオーダーメードな索引。
そんな本ばかりが出ている世の中に、
「書式を個人の責任のもとに揃えて、ページ制限をとっぱらって、量と質を担保しておいた! さあ、安心して通読しなさい!」
なんて教科書を出すなんて。
きもちいい。広辞苑を通読するタイプの人だな。
ぼくは唾液腺病理の専門家ではない。だけど、こういう「学術的一本気」をみてしまうと、ああ、ちょっと勉強してみようかなあという気になった。
会ったこともない熱血師匠の薫陶を受けてみようという気になった。
通読するまであと少し。実にマニアックで情感に満ちあふれ、かつ言葉の定義や理論の細かい整合性にきちんとこだわっている良書だなあと思いながら楽しい時間を過ごしている。Pleomorphic adenomaのhistologyだけで38枚もの写真が載っている教科書! なんてすごいんだ。