2018年3月13日火曜日

病理の話(179)

手術を受けたことがある人はご存じだろうが、手術の前にやる検査というのはほんとうに量が多い。

たとえば「胆嚢とか胃とかを小さく切るだけの手術」であっても、文字通り検査漬けになる。検査だけで数日かかってしまう。

何をそんなに調べているのか?



ある臓器に病気があるとして、その病気を詳しく解析することはとても重要だ。病気がどれくらい広がっているかによって、手術のやりかたも変えなければいえないだろうから。

けれど、検査というのは、病気だけをじっくり調べているわけではない。

手術の前には必ず心臓を調べる。

呼吸機能、すなわち肺の働きも絶対に調べておく。

血液検査によって肝臓や腎臓の能力だって詳しく調べる。

胆嚢を切り取るために心臓や肺まで調べなければいけない。そりゃあ検査も増えようというものだ。





ぼくらは手術を「わるいところを切り取るもの」だとイメージする。しかし、実際の手術において医療者が考えていることはもうちょっとだけ複雑だ。

「わるいところを切り取り、わるくないところに今まで通りにきちんと稼働してもらう」ことこそが手術の目的である。



手術の目的はたしかに病気を取り除くことなのだ。しかし冷静に考えて欲しい、取った臓器とか病気よりも、「取らなかった部分」のほうが患者のこれからにとっては重要である。だって、取らなかった部分とはこれからも協力して命を続けていかなければならないのだから。

手術によって病気を取るのはいいが、そのときに病気以外の「きちんと動いている臓器」に不具合が出てしまっては意味がないのである。だから、検査のときには病気そのものだけではなく、病気になっていない部分の検査もかなり詳しくやっておかないといけない。




今回の話は「術前検査」についての話だったのだが、話題をもう少し広げてもいいかもしれない。



医療をめぐるいろいろなことを考えるとき、「病気をみつけること」や「病気を消し去ること」が大目標だと考えてしまうと、いろいろと間違うことになる。

最も重要な目標は、「患者が今までと同じように平和に暮らしていくこと」、あるいは「今までと同じとまでは言わないができるだけ平和に暮らしていくこと」にある。

病気を取り除くためには、取り除いたあとの体がどうなるかをきちんと予測する必要がある。病気を取り除いたはいいが、へとへとになり臓器も一部うまく動かなくなってしまい、生活のクオリティが下がった、はよろしくない。

そもそも病気を取り除いたほうがいいのかも考える必要がある。

もっといえば、その病気を見つけた方がいいのかも考えておかないといけない。



現在、とくに日本で行われている検査は、とりあえず今の段階で「やったほうがいいと思うよ」と多くの人が認めていることが多い。

しかしその一方で、「その検査はやりすぎなのでは?」「その早期発見は患者にメリットがないのでは?」「その治療は医療者にとっては意味があるが患者にとっては意味がないのでは?」という問題もまだまだ多く残っている。