2018年3月22日木曜日

病理の話(182)

たまに顕微鏡をみるときの話もしよう。

……今の1行目を読んだだけで、今200人くらいがブラウザを閉じた。

カリン様「なんと わかるのか! それが……」

悟空「オラ、(閉じた人々を)退治に行ってくる!」




突然のカリン様と悟空はほっといて話を先に進める。

病理診断のうち、組織診(そしきしん)と呼ばれる領域では、ぼくら病理医が顕微鏡で細胞をみて、診断を行う。病気かそうでないか、病気だとしたらどれくらい悪いものなのか、どれくらい進行しているのかなどを、見た目で判断する。

見た目ってつまり、主観だよな?

病理医の主観、すなわち胸先三寸で細胞の良悪を決めて、患者の人生を予測したり、治療を決定したりしてよいものなのか?

病理医が悪だと言ったら悪……。それって、危険ではないか?




……なんてことを、当の病理医も考えている。病理医だけではなく、一般に「形態診断」と呼ばれる、臓器や病変のかたちを見て診断している人たちはみんな同じ悩みを抱えている。「主観をできるだけ排除して、客観的な判定をするには、どうしたらいいだろう」。




例をあげよう。

「細胞の核がでかくなっていると、その細胞は悪性であることが多い」。これは事実だ。

では、具体的に、細胞の「核がでかい」というのを、どう判断するのか?

顕微鏡をみた病理医が、「あっなんか今日は大きく見えるぞ」と言ったら悪性なのか?




ここで登場するのが「コントロール」という概念だ。

ぼくらが普段もちいているコントロールという言葉は、主に操作するという文脈で用いられると思うが、今回は違う意味で使っている。日本語にすると……「比較する対象」だ。「比較する基準」でもいい。

細胞核の大きさは、観察視野の中にたいてい含まれている「リンパ球」とか、周囲に存在する「間違いなく正常の細胞」と比べることで評価すればよい。

「リンパ球をコントロール(比較対象)にすると、この細胞の核は……直径が、リンパ球の核の3倍くらいあるなあ。だいぶ核腫大が起こっているということだな。」

「正常の腎臓尿細管上皮細胞をコントロール(基準)とすれば、このがん細胞の核は……直径が、正常細胞の2倍くらいあるから、だいぶ増殖活性が高いのだな。」

コントロールをきちんと置いて、比較することで、誰がみても「ああ、そうだな、大きいな」と判断できるようになる。




ぼくらは顕微鏡をみて様々な主観を発動している。その主観を主観で終わらせず、「誰がみてもその通りだと納得してもらえるように、客観的に記載する」作業こそが病理診断の根本にある。コントロールなんてのはその好例だ。

でも、もっというと、コントロールを置くことが大事だけど、それ以上に、「きちんと客観性を保って診断しました」と、声に出して相手に届けることがもっと重要なのである。

「核がでかい……と書きたいけれど、これは主観だなあ。よし、核が正常細胞の2~4倍くらいに大きくなっている、と書こう。これならみんなわかるだろう。」

「免疫染色でHER2陽性……と書きたいけれど、もっと客観的に書こう。ええと、観察範囲のほぼすべてにおいて、がん細胞の細胞膜、とくに管腔面に沿って染色性がみられるから、HER2は3+(陽性)と判定します、と書こう。」

「大腸粘膜に中等度の炎症……と書きたいけれど、軽度とか中等度とか高度をどうやって判定しているかも書いておこうかな。粘膜固有層の表層から深層までムラなくびまん性にリンパ球や形質細胞が浸潤しており、複数箇所で陰窩の上皮内にも好中球浸潤がみられるが、表層上皮の剥離までは呈していないから、中等度の炎症です。これでまあわかってくれるんじゃないかな。」

主観で決めてるんじゃないんだ、と宣言する上でもっとも重要なのは、「自分がこう診断した理由を客観的に記載できる文章力」かなあと思う。




……実際には、毎回診断のたびに客観性を示す文章を長々と書くと、冗長になる。読む方もうんざりする。だから、ある程度省略することになる。ただし、省略するのが許されるのは「臨床医に信頼されている病理診断」だけだ。

臨床医が、

「あいつは普段は文章あまり書かない病理医だけどさあ、いざってときにはきちんと文章で説明してくれるからさあ、きちんと客観的に見てると思うんだよな。だから今回はこの診断書の『がんです。以上』を、信じるよ。特に説明が書いてなくてもな。」

と信じてくれているときのみ、ぼくらは「短い診断書」を書くことを許される。