2018年5月30日水曜日

病理の話(205)

名前を付けるというのは、学問の大事なおしごとの一つである。


ある病気を例にあげよう。

あまりよく加熱していない鶏肉を食べて、少し時間が経つと発症する。下痢が起こり、ひどいと脱水になる。下痢を繰り返すたびに、少しお腹が痛いなあと感じる。CTや超音波でみると、回腸から上行結腸にかけての部分がだいぶむくんでいる。便を培養に出すと、カンピロバクターと呼ばれる細菌が認められる。

たとえば以上のような病気を、毎回、このように3行も4行もかけて説明しなければいけないとしたら、それは医療者にとっても、患者にとっても、時間がかかって大変だし、同じ話を何度も繰り返さなければいけない。

だから、「カンピロバクター食中毒」とか、「感染性腸炎(カンピロバクターによる)」などと、名前を付ける。



名前を付けることで、伝達が楽になる。患者が家族に伝えるにしても、医療者がスタッフ同士で情報を共有するにしても、ひとことである程度まで伝わるというのはとても便利だ。

名前を付けることで、これに対応した対処ができる。治療法がある程度決まってくる。患者はそれぞれオンリーワンの人生を過ごしているけれども、治療も毎回オンリーワンでは大変だ。ある程度、似たような症状、似たような原因の病気については、似たような治療ができたら便利だなあと思う。

名前を付けることで、学問が進む。同じ「カンピロバクター腸炎」に分類される病気を何百例も集めてくることで、この病気の特徴がわかり、どのような経過をたどるか予想することが簡単になり、よりよい治療法も開発される。



そして……。

名前を付けるだけで安心してしまってはならない。




例えば同じ「カンピロバクター腸炎」であっても、その程度は人によってさまざまだ。

「同じ名前でも、程度が違う」ということ。

程度とは?

たとえば、下痢の回数。脱水になっている程度。これらが違えば、「対処の程度」を変えていくべきだ。軽症例と重症例に同じ治療をしていいとは限らない。

患者側の要因も毎回異なる。超高齢者で、普段からしんどそうにしている人が下痢をするのと、生来健康で体力もある若年男性が下痢をするのとでは、対処は異なる。赤ちゃんだったらどうする? 妊婦さんだったらどうする?

同じ名前であっても、常に同じ対処でいい、とは限らない。

名前を付けたら、さらに考えなければいけない。





病気と戦おうと思ったら、考える事をやめてはいけない。でもこれって理想論だよね。

前回の記事と真逆のことをいうけれど。

病気のことを考え続けていたら、それだけで人生が終わってしまう。

もっといえば、人生をかけて病気のことを考え続けていても、病気というのは解明しきれない。

だから、人間は工夫する。



病気のことを考える手順が、「1から10まで」あるとする。

これを毎回、ぜんぶ、順序立てて考えなければいけないか、どうか。

効率化することができるのだ。

たとえば、病院に来た患者が下痢を訴えていたとき。

1から3くらいまでは、どんな患者であっても共通して考えなければいけないことだったりする。

「1~3」が共通している。

そしたら、「1~3」に名前を付ける。




名前を付けることで、とりあえず、思考の3割くらいを省力化できるようになる。

その分、4から10までの思考をより深めることができる。




「疾病の命名」によって得られるメリットは、ここにある。




病理診断医が普段やっていること。

「命名と分類」。

この病気が、なんという病気か。どれくらい進行しているか。

名前を付けて、程度をはかるしごと。





病理医がいると、病院のスタッフは、考えの多くを省力化できる。

そして、その分、さらに考えてもらうことができる。