かつて、歯医者で「あーこの虫歯はだいぶ深いんで、もしかしたら神経を抜かなきゃいけないかもしれません」と言われたとき。
「神経抜くってすごいな」
と思った。そしたら、歯医者がこういうのだ。
「神経は抜かないに越したことはないんですよ。神経を抜いてしまうと、歯に栄養がいかなくなりますからね。色も少しずつ悪くなってしまうし」
ふーん、って感じだった。神経抜いたら痛みもなくなるから便利なんじゃねぇの、くらいにしか思っていなかった。
虫歯は神経の手前で止まっており、ぎりぎり神経を残すことができたのだが、そのときもまた歯医者がこう言った。
「ぎりぎり神経を残せました、よかったですね」
よかったのかな? ぼくにはそれがわからなかった。まあ、よかれとおもってあるモノを取っちゃうのはなんとなくよくないんだろうな、くらいの感覚だった。
それから何年も……何十年も経った。
先日、歯周病検診で歯医者を訪れ、歯石を取ってもらい、「もっと長時間磨いてください」みたいなことを言われ、その日の夜に長々と歯を磨いているときに、稲妻のように疑問がおりてきた。
「神経抜いたら歯に栄養がいかなくなる……とは……? いつから神経は栄養を運ぶ管になったのか……?」
もちろん歯医者に悪気はない。いちいち一般人に解剖とか病理の説明などしない。
でも、「神経抜いたら栄養がいかない」というのは、医学的にはふしぎな表現である。
ところが子供の頃から当然のように「神経抜いたら栄養がいかない」を聞いていたぼくは、これを「ふしぎなこと」と思わず、流してしまっていた。
「歯の神経を抜くと歯の色が悪くなる」とはなんだ? 神経はいつから細胞の代謝にかかわるシステムになったのか?
今でこそ芸能人は歯をかんぺきに白くしてからテレビに映るようになってしまったが、昔は違った。時代劇だったか落語だったかをテレビで見ていたとき、祖父が言った。
「こいつ、虫歯で歯の神経抜いてるから、歯が死んでる。色でわかる。こうならないようにちゃんと歯をみがけ。」
そうかそうか、と、納得していた。
けど待ってくれ。
神経には栄養運搬の仕組みはないはずだぞ。
今さら気になった。
病理医ったってこの程度なんだよなあ、子供の頃からの思い込みってのはしみついてなかなか離れない。
苦笑しながら教科書を探す。
さて、どの教科書をみればいいのかな。探すのにほねがおれた(歯だけど)。
とりあえず本格的な口腔解剖学の本は手元にない。久々に「岡島解剖学」でもみてみるかな、と、本棚のすみっこから引きずり出してくる。ほこりをはらう。
ええと、骨、骨……あれ、ない。歯ってどこに載ってるんだっけ。
V. 内臓学, Splanchnologia, Splanchnology
[1] 消化器
A, 前腸―頭側部
3.歯 ...486
……歯って(岡島だと)内臓学に分類されるのか……まあ、口腔だからなあ。
歯は……根本に歯根管という穴があいていて……そこから歯のかみあわせ面に向かってトンネルができており……トンネルの中は途中で少し広がって部屋のようになっていて……歯髄腔(しずいくう)というスペースを作る。
「歯の血管、神経、リンパ管等は歯髄腔内に多量に存在し」
みつけた!
そういうことか。
レントゲンで歯の中に黒く写っているものを、歯医者は簡便のために「神経ですね」とかいってたけど、あの黒っぽいところは本当は「歯髄腔」であり、神経だけじゃなくて血管とかリンパ管などが豊富にあるんだ。
だからそこを「抜く」というのは、何も神経1本を大根みたいに引っこ抜くだけじゃなくて、中にある血管とかを全部つぶすことになるんだ。
歯にも栄養が必要で、栄養をもたらしているのは歯医者が単に「神経」と呼んでいる場所に存在する細かい血管なんだな。
なにを楽しそうに調べておるのか、とお怒りの方がいらっしゃるかもしれないので先に謝っておくしいいわけを書いておく。
ぼくは最近、「非医療者のきもち」が少しずつわからなくなってきているところがある。
医学を学んだために、もはや自分では経験しなくなってしまった「勘違い」というものが、そう簡単には思いつけなくなっている。
だから、「歯の神経を抜くと栄養が」みたいな話を「かんちがい」していた自分をきっちり記録しておきたいのである。