病理診断にどれだけ時間がかかるか、というのは、患者からすると大きな問題である。
自分からとりだされた一部分が、がんなのか、がんではないのか。
一刻も早く知りたいと思うのは当然だ。
一方、臨床医は、その患者が一刻一秒を争う状態かどうか、ある程度見極めが付くので、「急いで病理の結果を知りたいけれど、まあ、そこまで大急ぎでなくてもいいよ」というくらいの気分でいることが多い。
いやいや、診断というのは早いほうがいいに決まっているだろう、と反論する方もいるかもしれないが。
病理診断は、その性質上、必ずしも「スピード」を最重要課題とはしていない。
「確実性」こそが第一である。
岸先生も言っていただろう。「ぼくの言葉は絶対だ」と。「ぼくの言葉はすぐ出るぞ」ではない。こんな決め台詞だったらどっちらけである。
医療という不確実な世界で、絶対、とか、100%正しい、ということばはあり得ない、と反論する人がときおりいる。なんと医療の世界にもいる。「フラジャイルは煽りがひどい、絶対なんていうな!」みたいなことを、マンガをろくに読みもしないで言っている人をみたことがある。
けど、病理診断は、ほんとうに「絶対」なのだ。ただし、ニュアンスはちょっと複雑である。
「絶対に正確である」ということではない。
「病理診断を絶対の基準として、今の医療は組み立てられている」という意味だ。
病理が、「Aという病気です」と診断したら、ほかの臨床医がなにを考えていようと(たとえばひそかにBという違う病気ではないかと思っていても)、Aに対する治療がはじまる。
病理の結果があっている、間違っているという検証は、なかなか行われない。だって、病理が基準だから。
「病理診断は絶対」だと思われているから。
診療においては、病理を正義としないと先に進めない場面がある。
特に、がん。
がんの組織型については、臨床医が他の手段で「反論」できることはほとんどない。
そう、病理診断が「絶対」というのは、「絶大な影響力がある」という意味に近い。
「あの上司がダメって言ったら絶対だめなんだよねー」みたいなかんじだと思って頂ければいい。
病理医は、ときに、「難しい、わからない」とはっきり述べる「勇気」を持たなければいけない。
疑問を残したまま、「この病気は、Aです」と断言してしまうことは、病理診断を基準として行われている診療の世界では、もはや犯罪に等しい。
ときに、今ある情報だけではわからない、と言い切ることも必要だ。そして、それを丁寧に臨床医に説明することが肝心だ。
なぜ悩ましいのか、どういう推論プロセスを経て悩んでいるのか。追加検査で何をしたら、答えに迫れるか。
病理医がこれほど慎重であればこそ、臨床医も病理医に「絶対の基準点」を与えることができる。
病理のことをよく知っている臨床医は、病理の結果について、
「急いで知りたいのはやまやまだけど、まあ、確実に決めてくれた方がいいな」
というくらいの気分でいる。そして、たとえば病理診断を待っている患者に、このような説明をする。
「……今日の検査は終わりです。この後、お帰り頂けます。そして、次に病院にお越し頂いたときに、病理診断の結果をお伝えいたします。結果をみながら、今後の治療方針を、あなたと私で一緒に決めます。
では、次に病院にお越し頂くタイミングですが……病理診断というのは、1週間とか10日くらいかかることがあります。もちろん、それより早くわかれば、結果をすぐにお伝えすることもできます。ただ、できれば電話などではなく、外来をちゃんと予約して、一緒に病理報告書をみながら、しっかりご説明したいのです。結果によって、今後の治療方針も変わってきますので。
ということで、おそらく確実に診断が出ているであろう、2週間後に、また病院に来ていただく予約を入れるということで、いかがでしょうか?」
帰宅した患者は、たとえば、家族に説明する。
「今のところ、急いで治療する必要がないから、2週間後にこいってさ。そこで病理の結果を教えてくれるってさ」
その家族が、思う。
「病理診断って2週間も待つんだなあ……」
いや、ま、ほんとはもう少し早く結果が出ることもあるんです。
HE染色だけで「絶対Aだ」といえる場合もありますのでね。
けれども、病理診断は、最後の砦みたいなもので。
慎重に慎重を期さなければいけないのです。
慎重のために染色を追加したりしますと、検体の処理や染色に時間を要します。化学反応は、人間がいくら努力しても早めることができません。ぼくらが精一杯努力しても、所要時間を縮められない場合もあります。
2週間お待ちいただくことも、場合によっては1か月お待ちいただくことも、あります。どうもすみません。