病理医は顕微鏡をみて、人体に起こっていることや病気の正体を探る。
ただ、世の中には、顕微鏡をみるだけではわからない病気というのがかなりある。
たとえば心臓とか、血流の異常。
ホルモン、代謝に関する病気。
これらは、顕微鏡で何かをみればぴたりと当たる、という類いの病気ではない。
「病理医は苦手としている」とまとめてもいい。
現代医学においては、全ての病気に詳しい医者というのはあり得ない。
医学の進歩に伴い、診療はかつての何千倍も複雑になった。
たとえ生涯をかけて学び続けても、人体の全てを知ることはできない。
病理医も、自分の得意とする「がん診断」に専念することで、医療の一翼を支える存在となる。
同じ診断学といっても、がん診断は詳しいが、循環器救急の診断はよく知らない。
それでも十分に役に立てる……。
……けれどぼくは、「自分の苦手な分野についてもある程度知っておきたいな」と考えるほうだ。
ときおり、本来であれば臨床医がするような検査推定に首をつっこんで、自分でも考えてみようとする。
臨床医には「現場にいないくせに、ちょっとかじったくらいで生意気にも臨床を知った気でいる、頭でっかちな無礼者」と思われているかもしれない。
実際、出版した本の書評を読んでいると、
「現場で働いたことがない病理医のくせに、診断学の本を出している奇特な人」
みたいな評価をみつけることもある。たぶん悪い意味で書かれている。
ぼくは病理専門医という資格のほかに、臨床検査管理医という簡単な資格を持っている。
この資格は、実は取るのがとても簡単だ。
なんと、東京で1日だけ講習を受ければすぐ取れる。
だから持っていること自体にはあまり意味がない。これで給料が上がるわけでもない。
(似た名前で、「臨床検査専門医」という資格もあります。こっちはとるのがとても大変)
でも、ぼくはこの「臨床検査管理医」という資格が気に入っている。
これは、「AED講習 受講証」みたいなものだ。
よく、消防署とか行政施設で、一般市民を相手に救命講習が開催されているだろう。
救命講習を受けると受講証がもらえる。
この受講証を1枚持っているからといって、いざ、倒れている人に対して100%完全な応対ができるとは、思わない。
そこまで救急対応というのは簡単ではないからだ。とっさのタイミングであわてず平常心でいることも難しい。
けれど、講習を受けたことで自信と自覚を手に入れることが大事なのではないかと思う。
いざ、倒れている人を目にしたときに、あわてたり呆然としたりしながらも、「自分は受講証をもらったんだ、冷静に思い出せば何か役に立てる」と奮起することで、救急隊への連絡を早めにできたり、複数の人を呼んできて一緒に対応することを思い出せたりする。
そして、ときおり壁にかけてある受講証を眺めて、「そういえばそろそろ思い出さないといけないから、また受講しようかな」と気づく。ときおり講習会を受け直したり、YouTubeの救命動画に目を留めたりする。
臨床検査管理医の資格もこれに近いところがある。
持っているだけでは有名無実だが、
「ぼくは病理医として顕微鏡診断をするだけではなく、臨床検査室のほかの業務にも詳しくなり、技師さんたちと一緒に検査学についても学び続けるぞ」
という意思表示の証とはなる。
フラジャイルを読んだ医療者が「病理医でこんなに臨床診断に詳しいやついねぇよ」と言ったり、「これは病理医の仕事ではなく検査専門医の仕事では?」とつっこんだりするシーンにときおり出会う。
けれどぼくからすると、あの岸先生のスタイルというのは「ぼくが目指す像」なのだ。
あなたは突拍子もないほどすごい名医にあこがれたことはなかったのだろうか?
ぼくはある。それも今あこがれている。
ぼくはマンガの登場人物くらい優秀になりたいと今でもわりと本気で思っている。