2018年10月10日水曜日

無視するべきではないかと言われた

おやつを食べる習慣を失ってしまった。

出張に行くと自分用にごっそりおみやげを買ってくる。

そのいくつかは職場にキープして、仕事のあいまにぼそぼそと食べる。

ここしばらく出張がなかったので、デスクのお菓子を食べ尽くしてしまった。

すると、とたんに、おやつを食べなくなってしまった。




食べたくて食べていたわけではなかったらしい。

あるから食べていたのだ。





Nintendo Switchを買ってからというものさまざまなゲームで楽しんでいた。ブレスオブザワイルドはすばらしかった。マリオオデッセイもよかった。スプラ2も神である。

しかしある日、ゲームでもすっかなと思ったところ、たまたまSwitchの充電が完全に切れていた。充電するのを忘れていた。

充電器を指したままプレイすればいいかな、と思ったが、充電器に指してもゲームができるようになるまでに数分のタイムラグがあった。

その数分でふと、ゲームをするのがめんどうになってしまった。

それ以来、半年以上、ゲームをしないままでいた。




ゲームをしたくてやっていたわけではなかったのか。

充電があったからやっていたのか。





ときおり、自分の診断しなければいけない標本が完全にゼロになることがある。

するとぼくは働く気もゼロになってしまう。

「積み仕事」があるからこそ働くモチベーションが保てている。

それがわかっているが、診断はおやつとかゲームと違って「あとでゆっくり味わう」類いのものではない。

意図的に診断を遅らせることはできない。

となると、積み上げた山が無くなることを防げない。

じゃあどうするか。

論文を書けばよい。

教科書を書けばよい。

学術を探究し、それを後世に伝える仕事だけは永遠に無くならない。

よかったなあ。おやつやゲームと違って、仕事だけは、一生やっていけそうじゃないか。

ただ、タイムラインに返事してないリプライが溜まっているときは、まずそっちを消化してしまう。

リプライは無くなることがない。

おやつよりもゲームよりも仕事よりも確実に続けられるもの。

それはリプライだ。食べたいわけでも遊びたいわけでも働きたいわけでもないが、リプライが残っている限り、リプライは続いていく。そういうものだ。