2018年10月9日火曜日

病理の話(250) 疾病分類の独特さと脳のVR拡張

医療において、インターネットをどう活用するか。

「インターネット? 知識を集めるために使うってこと? まあ確かに使うよね。論文検索とかでしょ。けれど、医療においてほんとに大事なのは、リアルのつながりのほうじゃないかな。論文調べてる時間よりも、実際に患者に会って話して、触って、処置をしてる時間の方が長いんだから。リアルが主、ネットが従くらいでじゅうぶんだよ」

……なんてことを言う人は、実は、もうほとんどいない。

インターネットはもはや「片腕」を通り過ぎてしまっている。「片脳」でも足りないかもしれないくらいだ。




現代の医療においては、Windows updateよりも頻繁に知識のアップデートを行わなければいけない。

「最新の治療」が日進月歩で登場するというのがその理由のひとつだが、実は、「診断」も日々移り変わっていく。

移り変わるならばそれを反映させるのが医療者の使命。

ほんとかウソかは知らないが、世界にある医療の知識は今や、3か月程度で倍になるという調査があったとか。いくらなんでも3か月で倍ってことはないだろうと思うが(カウントの仕方が厳密すぎるのではないか)、しかし、ビッグバンの後のインフレーションのようなイメージでサイエンスが膨張しているのは間違いない。

そんな現代、オフラインで情報を更新し続けることは絶対に不可能なのである。「オフラインでも十分いけるよ」と思ってる人がいたら、その人は単純に、「情報に追いついていないことに無自覚である」か、もしくは、「メールやPubmedは使ってるけどネットは使ってないよ」みたいに、「そもそも自分が既にインターネットの恩恵を受けていることに無自覚である」にすぎない。




ところで、こう書くと、ギョッとする人がいる。

「診断手法(画像とか血液検査とか)が日進月歩ってのはわからなくもないけれどさあ、もしかして、病気の名前なんかも変わり続けてるってことは、ないよね?」

それがおおありなんだなあ。

昨日までは「○○がん」と呼ばれていた病気が、今日から「△△がん」に変わっているということが、医療現場では本当に起こっているのだ。

なんでこんなことが起こるのだろう。

これにはいくつか理由があるが、一番大きな理由は、病気の分類というものが、昆虫とか魚の分類とはちょっと違う意義を持っているからだ。

病気は、単に「Aという病気はBという病気と似ている」とか「Cという病気はDという病気と異なる」と分類してはいけない

病気は、たとえば、将来患者をどういう目に遭わせると予想されるかによって分類されなければいけない。

そう、病気の分類は実用的な分類でなければいけないのだ。分けてそれでおしまいとはならない。魚を分類することは純粋に科学の目で行えばいいが、病気はある程度社会的に分類しなければいけないのである。




最新の治療薬Xを投与することにより、Aという病気もBという病気もすべて3日で治る、ということが起こったら、AとBを分けて扱う必要がひとつ減る。

だって、治療が一緒で、将来どうなるかも一緒なんだから。

この場合、A=Bとするためにはいくつか追加の条件がいる。

たとえばAという病気の原因と、Bという病気の原因がまるで違っていたら、予防法が異なるだろう。

そういうときにはAとBとは分けたままでいる必要がある。

けれども、Aの原因とBの原因が「不明」だったらどうか?

AもBも、予防方法が不明、治療方法がいっしょ、将来の予測もいっしょとなると。

あとは症状が一緒かどうかぐらいしか、2つの病気を分ける意味がなくなる。




病名を定義するには、その病気がどのような細胞によってできているかとか、どのような症状を呈しているかだけでは不十分なのだ。

現存している治療とか、現代の人間たちが置かれている環境との関係とか、発症するリスク、さらには患者にこの先何をもたらすかという予想まで含めて検討しないと、病名は定義できない。



「ある程度の期間、しっかりと研修をして、知識を高めて、経験を積めば、あとは働ける」なんて仕事は、今や、医療界には存在しない。

……たぶん医療に限らないんだろうね。けれどぼくは医療業界のことしか知らないから、医療の話をする。

科学に基づいた医療を行おうと思ったら、知識も知恵もどちらも、最新のものに更新し続けないといけない。

人間には限界がある。ひとりの脳で、世の中のすべての知識を把握しろというのはできない相談だ。理想論でいえば「全部知っておけ」だろうが、現実的に無理。

だったら、インターネットを使って、脳を拡張しないといけない。

「インターネットを使わずに最新の情報を手に入れる」というのは、現在存在している「脳の拡張方法」の中で、インターネットよりも「弱いツール」に「あえてこだわっている」という意思表示に等しい。





……という文章をブログに書いても実はあまり意味がない。

「ネット? まあほどほどでいいんじゃないかな」という人は、ぜったいにここにはたどり着かないからだ。もしたどり着いたのだとしたら、あなたはすでに、全脳がどっぷりインターネットにはまっているということだ。謙遜なんかしなくていいんだよ。