「いんよう!」という名前のウェブレイディオを先輩といっしょにはじめてそろそろ3か月が経とうとしている。
会話の内容としてはふだんぼくらが会って話す時の内容とほぼ変わらないので、収録のストレスはほぼない。「ほぼ」と少し表現をゆるめたのも、スカイプなどで遠隔通話をしながらネット用の音源を確保するのに苦戦したからであって、会話自体にはあまり問題を感じていない。
だからまあふだんのぼくがそのまま出ているということになる。そして、あらためて、自分がしゃべっているところを時間を置いて聞くと、いろいろと感じるところがあった。
中でもいちばん「あぁ……」と思ったのはぼくのあいづちだ。
自分で思っているタイミングよりも、レイディオから聞こえてくるぼくのあいづちが、0.5秒とか1秒くらい、遅い。
まったく軽妙ではないのである。
先輩はそれに慣れているのか、ぼくのあいづちが遅れてもあまりペースを乱されずに喋り続けている。また、ぼくが何か言ったときの先輩のあいづちは適切なタイミングだ。どちらかというと先輩のあいづちの打ち方が、ふだんFMやAMレイディオで聞いている「普通のレイディオのタイミング」に近い。
ではぼくのあいづちが遅れているのは……。
それも、ぼくが自分では気づかないうちに遅れているというのは、なぜなのだろうか。
と、いちおう疑問形で書いてはみたけれど、実はぼくの中にはひとつの答えがある。
それは、
「先輩のいうことをすべて考えてからあいづちを打とうとしているから、思考に要する時間の分だけ、遅れる」
だ。
レイディオにおけるあいづちというのは本来、相手の話を聞いていますよ、とリズムを与えるためのものである。でもぼくは、レイディオ的お作法を無視して、先輩から届いた言葉を毎回咀嚼して、自分の中である程度の結論ができた時点で「ふむ」とか「なるほど」「あぁー」などと返答している。
つまりぼくの「ははぁー」や「おっどういうことですか」は、会話のためのあいづちではない。
自分のためだけの感想なのだ。
ブログのような一人語りでは、ツッコミを読者にゆだねたまま完全に自分のペースで記事を書く。ツイートにはリプライという返事があるが、これも決してリアルタイムではない。ぼくはこれらのツールが「即時の反応を要しない」ことにずいぶん助けられている気がする。もともと、当意即妙な返しよりも、沈思黙考した返しのほうがいいと考えている性分なのだ。
だいたい今日の記事にしたって、みなさんはきっと、「なんでレイディオって書くんだよ、ラジオって書けよ」と言いたくてしょうがなかっただろう?
でもそのツッコミは、決して間に合わないのだ。ぼくはネット上で、そういう時間軸に生きている。さて、決して録音などされていない、日常会話については、ぼくはどういうしゃべり方をしているのだろうか……。