2018年10月29日月曜日

病理の話(257) 男女七歳席を同じゅうしてスプラトゥーンする

隔日で病理の話を書いてきて今あらためて思うことなのだが、病(やまい)の理(ことわり)のことを語ろうとおもうとき、大事なのはやはり正常を知ることだ。

もう今まで何億回も様々な人によって言われて来たことである。

異常を知ろうと思ったら正常を知れ。

正常がわかってはじめて、それが崩れた状態として異常を定義できるのだ、と。




ただねえ人体ってそれこそ若者っぽく言うと「異常」なんだよ。

「ありえねぇ」と言ってもいいかな。

「ヤバい」でもいい。

「エモい」でもいいけどニュアンスが少し違う。




何が異常かっていうと結局因子が多すぎることなんだ。

「異常に因子が多い。」

たとえば、止血という仕組みひとつとっても、そこに関与するタンパク質とか細胞外基質の数がいくつあるのか、未だによくわかっていない。

医学部の学生が2年生くらいのときに絶対に苦労する、凝固カスケードの図。第VIII因子がどうとかいうあれ。

あれってまだ完全じゃないんだよ。学校ではいかにも「解明された」みたいな顔をして書いているけれども。

実際、体の中で、微小環境の中で、どの因子がどれくらいのスピードでどう酵素反応をおこしているのか、そこに関わっている因子はこれで全部なのかなんてのが、まだまだよくわかっていない。

今でも新しい実験結果が出てきたりする。




ゲノムプロジェクトというのがあってね。人間のDNA……プログラムだよ、人体のあらゆる細胞の挙動を決めているプログラム……を全部解読しよう、ってのをやったのよ。人類は。

で、まあだいたい全部読んだの。ゲノム情報はすべて解析おわった。

けれどそれは、プログラムの文字列を全部読みましたっていうだけでね。

およそこれくらいの数、タンパク質が作られているだろうっていう予測も立ったんだけど……

タンパク質どうしがどうやってくっついたり離れたり、お互いをいじって形をかえたりしているか、なんてのは、実はDNAに書かれていなかったりする。

すごいゲスな例え話をしていいかな?

プログラムのなかに、「男のコと女のコをひとりずつ、部屋の中にいれて、1日放置する」って書いてあるとする。

そしたらほら、おじさんたちはたいてい、いやらしいことをするって想像すると思うんだけども。

部屋ってのがくせものでさあ。

そこは昔から今にいたるまですべてのゲームソフトが所狭しと置かれているかもしれないし。

3代目JSBのライブのパブリックビューイング会場かもしれない。

あるいは実は宇宙空間かもしれない。

部屋によって、男のコと女のコが何をするかなんてまるでかわってくるじゃない。

でもDNAには、「男のコと女のコを作る」としか書かれてなかったりするんだ。そういうことがマジである。

おまけに、DNAの外側に、「ただし男のコは男のコが好きとする」みたいな但し書きがついてるかもしれないし、そんなものはついていないかもしれないんだ。




ね。

人類がさあ、結構な本気を出して、必死で調べてこれ。

何にもわかりゃしない。

無限にわからない。

異常としかいいようがない。わかっているのは、その異常によって、正常なぼくらができあがっているということだけ。






……正常を知れ、異常を知るのはそれからだ! とかさあ。


どの口が言ってんだ、って話だよな。