2018年10月26日金曜日

脳だけで旅をする

老化したことでようやく言動と見た目年齢が一致した。

そういう日はくるのだ。昔の自分に教えたい。40からが俺だ。楽しみにしておけ、と。

スーツを何の違和感もなく着崩せるようになる。

ガード下でもバーでも好きな場所で存在感を消せる。

コンビニで店員さんにまっすぐお礼を言える。

今がチャンスだ。今こそ飛び道具以外の勝負ができる。



ジャケットをデスクの横のハンガーにかけ、ノーネクタイのワイシャツに腕まくり、革靴を脱いで不健康サンダルに履き替えて、足が蒸れないようにときおり椅子の上であぐらをかきながら、外付けBluetoothのキーボードをばかすか叩いている。ときおり研修医が尋ねてくる。「今日はどうしました」と声をかける。

医師免許を持っていれば、高確率で使いこなさなければならなかったはずの言葉。

患者に向かって、「今日はどうなさいました」。

ぼくはとうとうこれを患者に言わないまま40歳になった。そもそも患者に会わない仕事なのだからしょうがない。

あこがれのホコサキを研修医に向ける。「今日はどうしました」とかまえて傾聴の姿勢。研修医はストレートネックになってぼくに資料を渡す。ぼくが敬語を崩さない以上、研修医はより強い敬語を使わなければいけない……。

なーんてことはない。

けれど昔のぼくはそう思っていた。敬語を使いこなす上司にはそれ以上の敬語でへりくだらなければ失礼ではないか、と、半ば本気で信じていたのだ。




形だけの敬意って心地よいんだなあ。




笑いが止まらないのでそのまま会話を続ける。黙っていると吹き出してしまいそうだ。ぼくより髪の毛が黒く、ぼくより無駄な体脂肪が少なく、ぼくより肌つやのいい、視力はちょっと悪そうだけれど性格ほどではなさそうな、熱心で、将来性のある研修医が何やら説明をしてくれる。

ぼくはほほえましい気分になる。ああ、優秀だなあ。人間というのは本当に優秀だ。




年を取ると、若者が愛おしくなるように、遺伝子が命令している。

人間ってのは本当に優秀だ。





老化したことでようやく言動と見た目年齢が一致した。

そういう日はくるのだ。昔の自分に教えたい。40からが俺だ。

40からの俺は自己顕示欲を乗りこなせるようになった。存在感を飼い慣らせるようになった。無駄な背伸びをしなくても、年齢と見た目だけで、自動的な敬意が集まるようになった。もう十分だ。

ここから、ようやく、内面だけで勝負ができる。

ひたすらに本を読み、知恵を使って生きていく。

思った以上に、脳に貯金はできていない。

なりふりを整えなければいけない時期は過ぎた。

もう、守ってくれる「若さ」はないのである。