きれいごとをいうならば「一生勉強」だ。人間というのは結局そういうものである。
悟れ。いつまでも、”権化”にはなれない。
……けれどもまあ、我々は、ある程度年を取ったならば自分で働いて、給料をもらって飯を食い、ベッドを整えてきちんと眠り、ときおり楽しく遊んで世の中をかきまわさなければ生きていけない。
「ぼくなんて生涯半人前ですよ。仕事をきちんとできる日なんて来るんですかね」
……そんなことを言っていては自分も飯を食えないし、自分の仕事をあてにしている他人も困るのである。
たとえ不完全であっても、どこかの段階で、責任をとらないといけない。
不完全には不完全なりの「担保のしかた」というのがある。
医療の世界には、「不完全なものどうしが相互に見守ることで完全を目指すシステム」が存在する。
かつて、150年ほど前には、病気というものは単なる「症状」にすぎず、「死をまねくもの」とか「体調不良をまねくもの」くらいの意味合いしかもっていなかった。メカニズムがわからなかった。本体がみえなかった。しょうたいがつかめなかった。
それが、解剖学の登場によって、「病気には形があるんだな、原因があるんだな」ということが少しずつわかるようになった。
それからしばらくの間、解剖学、さらには病理診断学というのは「答え合わせ」を与える学問としてあがめられた。
病理診断は絶対であった。
患者がどのような症状をうったえ、顔色がどうなって、尿がどういう色をしていて、血液がどう動いているかはすべて「サイン」にすぎない。
病理医が胃を直接みて、「胃がんです」と言えば、それは胃がんだった。定義する立場だったのだ。
けれども、昔も今も、病理医は間違える。人間は間違える。
「絶対だ」が間違いということも山ほどあった。
定義する人が間違え続けていた。それをよしとしなかったから、医療は発展してきた、ともいえる。
人類は少しずつ、病理診断の使い方を変えた。
病理診断を、回答とか定義として扱うのをやめた。
「医者たちが間違えないために、ひとつの病気を異なる視点から見るためのシステム」
として使うことにしたのである。
臨床医が患者の話や診察結果、血液データから導き出す診断は「ひとつの正解」。
CTやMRI、内視鏡、超音波などで体の構造を映し出す画像診断もまた「ひとつの正解」。
これらは、違うものを見ているのではない。
富士山に登るためにいくつもの登山ルートがあるが、どれを選んでも最後にはひとつの山頂にたどりつくのと同様に、臨床医の診断と画像の診断とは「ルートが違い、同じ山頂を目指すもの」だ。
病理医もまた、病理診断をもちいて、同じ山頂に別ルートからアプローチをする。
それはもしかすると登山ではなくドローンかもしれない。
臨床医からすると、「うわっ、あいつあんなところから見るのか。ずるいな。そりゃ簡単だわな」と、納得半分、嫉妬半分で見られることもあろう。
しかし、ドローンは悪天候では飛ばせない。
霧がかかっていたら山頂は見えない。えっちらおっちらと徒歩で登っていく方が確実なことはある。
満足度だって別種のものだ。
「徒歩の人が道に迷ってもドローンは飛ぶ」
「ドローンがさまよっても徒歩なら登山道が見える」
と、お互いにお互いの苦手な部分を補完しあうことで、誰かは山頂をみられるだろうとチームで医療をすすめる。
これならば、個々人が不完全であってもかまわない。
大切なのは「自分は何が不得意で、何をよく知らないのか、何がよく見えないのかをきちんとわかっていること」である。
富士の裾野に咲く雪割草は、登山者だけが愛でることができる。
富士山の火口の写真は登山者にはなかなか撮れない。
「一生勉強ですよ」というのは、自分が不完全なまま働いていることに対するひけめとか、劣等感とか、あるいはあきらめとか、そういうニュアンスを含んでいるようにも聞こえるが、そうではない。
現代において医療をする以上、誰もが一生勉強をしていなければ、お互いにお互いの得意不得意を時代にあわせて見極め続けていなければ、そもそもチームで富士山を極めることはできない。
では参考までに、ぼくが不得意としていることはなにか?
ぼくのわかりやすい弱点は、「自分がもう若くないと知ってしまったゆえの、発想の貧困さ」である。
ある程度視野を広くとりはじめると、浮かんできたアイディアにすぐ「……無理だな」とか、「突飛すぎる」とか、「現実性にとぼしい」と判断をしてしまい、チャレンジをしなくなる。
新しい登山道の開発が苦手なのだ。
さあそんなぼくは、これから、初心に帰ってチャレンジをするべきか?
それとも、ぼくより若い人が代わりにチャレンジしやすいように、チャレンジ以外の小仕事を請け負って、後進に道を譲るべきだろうか?
ぼくはどうすればチーム全体を前に進めていけるか?
そこに自分のエゴをどれだけ混ぜ込んでいいものなのだろうか?