2018年10月17日水曜日

病理の話(253) あるからには意味がある

健康診断などで血液検査をすると、血液の○○という値が高いからどうだとか、低いからどうだとか言われる。

やれHDLコレステロールの値がどうだとか。

中性脂肪の値がどうだとか。

γ-GTPの値がどうだとか。

おかげで、これらの物質は「高ければ悪」という考え方で知られる。しかし、実際には血液検査で調べる項目の物質というのはほとんどが「体の中でよかれと思って作られて使われている物質」だ。



人体の中に存在する循環システムには、さまざまな物質が流れ込んでいる。ここにたとえば毒を流すと人は死んでしまう。だから、そもそも人体は、血液の中に何を流すかというのをとても慎重に考えて選び尽くしている。

そこに流れている時点で何か意味があるのだ。逆にいえば意味が無いものは流さない。シャットアウトしている。

血液の中に水銀が流れてますよー、ちょっと健康に気を付けないといけませんねー、なんてことはないのだ。水銀なんか流れてたら即死であろう(量にもよるだろうけれど)。

「もともと、血液の中に流して使うもの」だからこそ、血液の中にいられる。それが、程度問題として「やっべ、流しすぎた」になっていると確かにあまりよろしくない。

コレステロールだって中性脂肪だって本来は体の役に立つ物質。多すぎるのが問題だ、というだけのことである。




……まあここまではいいだろう。

では、ひとつたずねる。

「ビリルビン」はどうか?

間接ビリルビンとか直接ビリルビン。これらは、血中に流れてはいけないものだろうか?

医療者に尋ねよう。

間接ビリルビンの血中濃度の基準値は? 直接ビリルビンの血中濃度の基準値は?



まあ詳しい値はどうでもいいのだが、これらは、「血中の中に微量であれば存在していい物質」なのである。基準値が「ゼロではない」。微量ならOK.




……さて、人体は、この「微量ならOK」をどれだけ許しているのだろうか……?

ぼくは今そういうことを考えている。




毒は毒だけど少量ならしょうがない、だからビリルビンもちょっとならいいんだ。

そういう考え方は基本的に人体はやっていない。

完全な毒はそもそも流さないように何重ものトラップをかけて遮断するのが人体だ。

であれば、「ごく微量のビリルビンの機能に期待する」ということがあるのかもしれない……。





そう思っていろいろ検索をしてみたのだが、血中の微量なビリルビンがもたらす機能はよくわからなかった。日本語版Wikipediaには抗酸化ストレス作用があるかもしれない、と書いてあるが果たして本当かどうかわからない。別に抗酸化ストレス作用のためだけにこんな毒性の高い物質を用いなくてもよかろう。ヘモグロビンを作る際に使った鉄材があまりにもったいないので再利用している? うーん、だとしても血液への混入を許す意図はなんだ……?





人体のすべてに合目的な機能があるわけないじゃん、という考え方もある。男性の乳首、尾てい骨、ほくろ、これらにはおそらく前向きな機能はないと考えられている。

でもなあ。「適者生存の末に残ったもの」ってのはほんとうに選りすぐられた精鋭なんだよ。まして血液という循環システムの要に、ビリルビンみたいな物質を少量でも許した人体の”意図”がわからない……。




まあ酸化還元反応の触媒になってるんだろうけれどな。人体、わからない。人体、むずかしい。ソンゴクウ、いいやつ。