創作者も、表現者も、ほぼ間違いなく、ある瞬間にはユーザーであるはずだ。
すぐれた絵画を描く人間も飯を食い本を読むだろう。あるいは音楽を聴き、枕で眠るだろう。
すぐれた文章を書く人もトイレで用を足す。Suicaにチャージして電車に乗る。確定申告で会計士と相談する人もいれば百均で買った貯金箱に小銭を貯める人もいる。病院で胃薬を受け取る。
それなのに、クリエイティブの話ばかりする人がいる。口を開けばものづくり。何かにつけて人集め。アイディア。セレンディピティ。
作ることの話ばかりする。
あるいは、ユーザーの話をやたらとする。ただし自分はそこに含まれていない。あくまで自分の商品を使う「他人」の話ばかりする。
なぜそこまで、自分がユーザーであるときの話をしないのだ。
「人間の10割をあえて語らない」
「公私を分ける」
みたいなことだろうか。
何かを生み出す自分が、「生み出さないときの自分」を隠す。
そういうことだろうか。
おそらくは尊敬と金と力を集めるための技術なのだろう。
で、まあぼくの嗜好性の話をするけれども、ぼくが尊敬する仕事人は、基本的にほぼ例外なく、「自分が何かをクリエイトする話」よりも、「自分が何かを消費する話」の方を上手に語る。
医師。
研究者。
作家。
編集者。
音楽家。
教育者。
マンガ家。
ライター。
ぽろぽろと思いつくままに上げていく。顔を思い浮かべる。アイコンしか思い浮かばない人もいる。
ほら、みんな、自分が消費するときのことを楽しそうに語っている人ばかりだ。やっぱりな。
人間・市原のためだけに今から自己啓発書的なものを短く書く。
「クリエイティブの話しかしない仕事人はあやしい」
クリエイターという言葉をみるとスーパーミルクチャンを思い出す。
「クリエイターは気が短いんだよぅー」。
ラジャー了解。寿司でも食い行っか。