「このメイクをすると、小顔に見えるんで、今すごく流行ってるんですよ~!」
という特集を見たあとに、件のメイクをしている人に出会うと、そうか、顔を小さく見せたいのか……と察してしまう。
「このパンツ、くるぶしが見えるくらいの長さではくと、足が長く見えるんですよ~!」
というCMを見たあとに、くるぶしパンツをはいている人に出会うと、なるほど、足を長く見せたいんだな……と勘ぐってしまう。
「○○を改善できるんですよ~!」系の商品やCMを使っている人は、多かれ少なかれ、世間から「○○が気になってしかたない人なんだな」と思われる。覚悟しておかなければならない。
ぼくは、常々、恐そうに見えるから伊達メガネをかけたり、ザコっぽく見えるからスーツで出勤したりしている。だから、そのへんの「コンプレックスが産み出す、購買力」がとてもよくわかる。
Nintendo Switchを買ったんです、やる時間がないけどつい買ってしまいました! みたいなツイートをしたときも、内心、おそらくはコンプレックスが購買につながったんだ、と思った。
この場合のコンプレックスとは、
・病理医ってひまそう
・なんか遊び方がへたそう
・人生をたのしんでなさそう
と周りに思われているのではないかということである。
だから、
・ひまじゃないよ
・けど遊ぶよ
・たのしいんでるよ
を全部盛り込んだ結果、よくわからない購入報告につながったのではなかろうか。
人間が自分を語る言葉は、多かれ少なかれコンプレックスによって突き動かされているのではないか、という仮説。
これは、おそらく、ぼくがコンプレックスによって行動することがあまりに多いために、ぼくだけだと恥ずかしいので、広く一般論にしてしまえばぼくが一人にならなくてさみしくないだろう、という、「木を隠すなら森、気を隠すなら界王拳理論」の末に導き出されたものではないかと推測できるのだ。