2017年3月13日月曜日

息子がかつて雪だるま壊そうと歌ったときぼくは元ネタを知らず笑ってあげられなかった

なにか新しいドラマをやるとか映画をやるとかいうとき、2,3人の決まった俳優がテレビのバラエティに連続で出演していくような状況というのが、ここ数年、続いている気がする。

テレビはつまり、番組そのものを売るよりも、何か別の番組の宣伝として作り上げるほうが、今のところいちばん「儲かる」ということなんだろう。

テレビ。

どれだけの人がテレビに関わっていると思っているんだ。どれだけの人がテレビのおかげで食えていると思っているんだ。どれだけのお金がテレビのおかげで動いていると思っているんだ。

儲かることが第一義でいい。そのほうがいい。それが一番いいと思う。

同じ俳優ばかりをゲスト出演させて、あのバラエティもこのトーク番組も、ぜんぶ似たような人で作り上げていく今のテレビが、一番お金と心を動かしているということなんだ。

これは、たぶん、統計の結果もたらされたものだ。

医療でいうところの「エビデンス」みたいなものが、テレビ業界にもあるんだ。これがいいと判断されたんだ。




ぼくはたとえば広瀬すずちゃんみたいなかわいらしい、自分の半分も年齢がいってない女優さんが毎日毎日あらゆるテレビに出ている状況というのは、決して嫌いではない。

けっこう毎日のように、寝る前には必ずテレビをつけている。

録画してみるほどではないんだけど、寝る準備をしながら必ずテレビを見る。

毎日、かわいくて今旬の女優さんや、かっこよくて今はやりの若い男性タレントなどを、見る。

それはやはり眼福だし、こういう「はやり」というのは、うまいこと人の脳にしみこんで、世の流れを作り上げながら、何倍ものお金と心を動かしていく。



ぼくは、正直、そういうときに「動くほう」の自分でありたかったと思う。



みんなと楽しそうに、動いて、動かされて、ゆさぶられる側でいられたら、どれだけ幸せだったろうかと、思ってしまう。


そういう人たちが世の流れを作っていくのだ。そういう人たちが作った世の中でこれからもずっと暮らしていくのだ。



つらくないほうが、いいじゃないか。



わかりあえるほうが、いいじゃないか。




ぼくは常に屈折した思いでテレビが作り出す流行をながめていたし、そのテレビが全力で番宣しているものなんて虫唾が走るほど嫌いだったけど、それでも「アナと雪の女王」はほんとうにいい映画だったし、やっぱり、自分が単純にゆがんで間違っているんじゃないかなって、ひざを抱えて自分の好き嫌いを見直すような毎日を送っているんだ。