2021年5月27日木曜日

5%の言い訳

「クラファンの宣伝のときだけ出てきてわいわいnote書いてツイートしてRTして、クラファン達成したら引っ込んで二度と出てこない医者アカウント」の是非を考えていたら夜が明けた。それもまた善意なんだろうと結論して是のハンコを捺す。ちかごろは5時を過ぎると世の中が明るくてうれしい。札幌に春が来た。自宅からおおよそナナメに位置する職場まで、碁盤の目に走行する札幌の市街地をジグザグ突き抜けていく無数のルートを、毎日少しずつ変えながら出勤していたが、ここんところ「3回くらいしか信号につかまらないルート」を見つけて出勤がラクになったのでもっぱら同じルートで通勤している。早朝、だれもいない片側二車線道路を法定速度でのろのろと走っていると、横を猛スピードで追い抜いていくアウディやBMWがいて、たまにジープのこともあるのだが外車はなぜ早朝に時速80キロで走りたがるのか? そういう車が800メートル向こうの赤信号で停まっていて横にスッと追いつくとき溜飲が少し下がる。燃え殻さんの『夢に迷って、タクシーを呼んだ』の表紙のイメージが浮かぶ。車の中も外も油絵のインクまみれ。網膜の前後に塗られた色の組んずほぐれつを言語に置き換えることができない猿ぐつわ状態で、ハンドルを指でタンタンはじく。問い詰めたい人たちから問い詰められる場面のことを思う。先日、ある人から、「本を出したところこのような手紙が編集部に届いて」と相談を受けた。そこには著者に対するピントのずれた中傷が書かれており、思わずぼくは使い古された語彙で「交通事故にあったと思って忘れなさい」とアドバイスをしたのだが(交通事故が忘れられるものだろうか?)、最後のところに署名とともに、○○市○○ ○○病院と住所代わりに勤務先が書かれていたのが気になった。検索をかけるとたしかにそのような病院があり医師の名前も見つかるのだが、いまどき病院の名前は書いて科の名前を書かないというのは珍しいなと思った。おそらくこの人は戦前もしくは戦後すぐに医師免許をとったタイプなのだろうと無駄にプロファイリングをする。医療に対する知識をアップデートをできていないのかもしれないと思わせる記述がいくつか見つかる。具体的にどういうことが書いてあったかをここでは言わないが、たとえていうと、ある年齢より上の医師で最近の医学業界を知らない人は、医学博士と博士(医学)とを分けろという、そういう話にこだわる人は一定以上の年代だと見る人が見ればわかる。最近の学位は博士(医学)であって医学博士ではない、と強めに叱責してくる人には複数会ったことがあるしDMでも見たことがある。アカデミアから学問をもって任命されたものの呼称にこだわるのは大変よいことだけれども、近年のアカデミアがそのような呼び分けなどとっくに忘れ去っていることを、各種の学術雑誌や医学書からなぜ読みとらないのかと不思議に思う。Windows WWIIくらいの超絶古いOSで動いていてインターネットに接続しておらず、Windows updateが一切稼働しないまま30年以上ほうっておいているパソコンを見ている気持ち。ファミコンはよかったよな、買ったらそれっきり二度と進化しないソフト、だから何十年経っても同じゲームが遊べるんだ。インストールして半月で飽きたニーアリィンカネーションを10年後にやりたいと思ってももうプレイする方法は残っていないだろう。アップデートの功罪を思い出に沿ってひとり問答していくと、たしかに、齢80を超えた頃には自らの20代の記憶にすがってやっていくしかないのかもな、というエクスキューズに納得してしまいそうになる。それはそれとして、自分の五感で構築した仮想世界を他人の脳に移植するような卑猥な真似をよくできるものだ。平均的な性交の数億倍傲慢である。ここで平均的と書いておかないといけないくらい、世の中は正規分布していて、つまりは中心をはずれた5%の部分がいつも誰かの言い訳に使われる。


信号が青になる直前から外車はじりじりと前に出始める。ここの信号は歩車分離だから、横の信号が赤になっても前の信号はすぐ青にはならないで、かわりに横断歩道が全部青になる。ぼくはそれを知っていて、横の車がフライングで発進しかかっているのを見て、こいつ歩行者信号が青のタイミングでまだ動いてるけど大丈夫かな、と少し気を揉む。横の信号が赤になり、四隅の歩行者信号がすべて青になって、とうぜんすべての車用信号はまだ赤のままなのだけれど、隣の外車は猛スピードで走り去っていった。歩行者が誰もいなくてよかった。早朝なのだから人がいないし、まあ誰も困ってないと言えば困ってないのかもしれないけれど、はみ出ものをスマホで撮影してTwitterで晒すわけでもないぼくは今ここで何かの役に立っているだろうかともう一度ハンドルとタンタンと叩く。