昨年、『皮膚病理のすべて』という本が3つ刊行された。I, II, III。
Iは「基礎知識とパターン分類」編、
IIは「炎症性皮膚疾患」編、
IIIは「腫瘍性皮膚疾患」編である。
このIIIが出たタイミングで3冊とも購入した。ただし公費(我が科の研究費)を使用したので自分で買ったわけではない。こういう大判の教科書は、病理の部屋に置いておけば、ほかの病理医も、皮膚科医や研修医なども読みに来るので、科の財産として備え付けておくのである。
真ん中にある色鮮やかな3冊に注目。
ただ、じつはこのたび、筆頭編者の真鍋俊明先生より、これとは別に献本をいただいた。真鍋先生は『皮膚病理のすべて I』のじつに2/3をご自身で執筆なさっている。
ありがたいことで、恐縮している。普段、知らない人からの献本は受け取らず、事前に連絡なく送ってこられた場合には自腹で送り返すこともあるのだが、今回はやりとりの末にいただいた本であったのでありがたく頂戴した。これはいい機会だな、と思ったのでゆっくりと通読している。
そこには一流の病理医による細やかな病理学がこれでもかこれでもかと書かれていた。
ぼくはもともと、真鍋先生の書かれた『皮膚科医のための病理学講義 ”目からウロコ”の病理学総論』(金芳堂)や、真鍋先生とそのお弟子さんちが書かれた『外科病理診断学 原理とプラクティス』(これも金芳堂)を愛読しているので、真鍋先生の書かれるものには親和性が高いのだけれど、それを差し引いてもなお、今回の本は頭から順にゆっくり読むごとに発見と静かな感動がある。
今回、特に何度も目に焼き付けるように読んでいるのは、専門用語の数々だ。それも、ぼく自ら何百回も病理診断報告書に書いたはずの言葉たち。
過角化。錯角化。顆粒層肥厚。Acanthosis. Spongiosis. Ballooning. Mucinosis. 棘融解。ディスケラ。空胞変成。裂隙、水疱、小水疱。膿疱と膿瘍……。
使い慣れたがゆえに使い方が雑になっていた言葉を確認して脳内に練り込み直す作業が苦痛でなくなったのはいつからだろうか。少なくとも20代のときにはこういう本の読み方はできなかった。
人間、いちど専門性を身につけてしまうと、かえってその領域の古典的な本を読もうとは思わなくなるものだ。応用が利くように、他分野、辺縁領域、自分とは少し離れた場所にあるものばかりを読むようになる。そんな折、こうして真っ正面から、病理学ど真ん中の本を読むとあらためて自分がいかに「途上」にいるのかを思い知らされる。経験的に、世の病理医のうち、40代より上の人びとはだいたいみんなとてもよく本を読む。その意味が自分なりにわかってきたタイミングで、病理検査室の本棚をあらためて見やる。これを全部読み直したらきっと仕事の役に立つんだろうな、という気持ちがふつふつと湧いてくる。そしてたぶんそれをぼくはやるべきなのだ。病理医というのは病院の中では「勉強し続ける担当」なのである。患者に直接会わない分、それで浮いた分の時間を学問に振り分けてよいのだ。臨床医よりも本を読まなくなったら、この仕事をやっている甲斐がない。これが職務なのである。