2021年5月31日月曜日

リアルを大事にしたいので

ウェブで学会に出たあと、帰宅しながら別の研究会の幹事会議に耳だけで参加する。役員交代が終わり法人化に向けて進んでいる気鋭の研究会は議題が多く、家についてもまだスマホからは激しい議論が聞こえていた。スーツを脱いでジャージに着替えて、イヤホンをスマホに挿す。イヤホンにはクリップがついていて、前屈みになっても目の前にケーブルが垂れ下がってこないように服に留めることができる。空を見ると、ぎりぎりガマンしているという雰囲気。ぼくは会議を聞きながら草むしりをはじめた。3週間放置してあったから、あちこち伸び放題だったのだ。


会議の中ではぼくも何度か発言しなければいけない。この研究会はこれから多くの他業種にアプローチする必要があるので、Twitterを用いた公報に力を入れたいのだそうだ。会の代表から声がかかる。「公報、SNSについては市原先生が大変お詳しいと思うのですがいかがでしょうか?」ぼくはこのときのために考えてきた言葉を口に出す。


「末端の小間使いとして何でもさせていただきますので、事務的な作業についてはおまかせください。ただし、できれば多くの偉い先生がたに、ツイートの内容をときおりチェックしていただき、方向修正をお願いできればと存じます」


すると「偉い先生」の一人が泣き言のように言った。


「申し訳ないんですが、今年から来年にかけて学会が目白押しで、ほとんどお役に立てないかと思うのですけれども……」


そこで準備済みの原稿(第2幕)を差し込む。


「はい、○○先生は、もうぜんぜん、大丈夫です、細かい仕事はこちらでやっておきますので、お手は一切煩わせませんので、ときおりSlackとかGoogle documentとかで、チラッとみて気になったところで『そこは市原はちょっとやりすぎなんじゃないの?』の一言をかけていただけるくらいでもうぜんぜん大丈夫です」


偉い委員は笑う。「そういうのは得意です」。そうして会議は先に進んでいく。ぼくが律速段階になってはいけないということをずっと考えている。




草むしりが終わって家に入り、横になって本を読んでいたらいつしか眠ってしまった。夕方に目が覚めて、今日は晩飯を「外食」にしようと思っていたんだったなと気づいて、かねてよりマークしていたテイクアウト専門店をググってメニューを見る。「外で買うご飯」のことを外食と呼ぶようになって1年が経つ。やや高めにも見えるが、この揚げ物はおそらくそれなりのサイズがあるのだろう。電話で予約して取りに行けば早いのだろうけれど、現物をきちんと見てみたいという思いもあって、店に直接行ってみることにした。テイクアウト専門店の店頭で注文し、車の中でできるのを待つ、これなら三密回避は達成できるだろう。もう長いことそうやっている。最後に店の中で「座った」のがいつだったのか思い出せない。


車を飛ばして店にたどり着いた。UBER eatsとペイペイのロゴが貼ってある、お弁当屋を思わせる店内には男性の厨房担当者と女性のバイトらしき人がいて、でも女性も何やら揚げ物をしているときがあり、分業が完全に行われているわけではないようだった。注文は女性がとってくれた。お決まりになったらご注文をどうぞ。メガネが大きい。空気がたっぷり入ったボブ。そして大きめのマスク。この顔をアイコンにしたら顔の地肌部分は2割も目に入ってこない。ゆったりとした大柄の白いワイシャツにゴワゴワ硬そうな白いエプロン的何かを羽織っていて、首から下の白い光が顔に反射して全体的に白くなっている。ぼくは「私立探偵濱マイク」で映画館の受付に座っている井川遥を思い出す。「3種盛りを2つ……ここにある6種類をそれぞれ入れてください」と告げたら井川遥は少し考えて言った。「あ、この大きく書いてある1つがメインのメニューです」。なるほど、ほんとうは7種類あるのだが、1種類がメインすぎてフォントも強調も違っていたためにぼくの目からはかえって外れてしまっていたということを、この井川遥はぼくの注文の仕方からきちんと見抜いて的確に指摘したのだとわかった。すごく頭がいいなと思った。ぼくはこの店が気に入ったし、20年前のぼくだったら確実に目の前の井川遥に恋をしただろうと思った。最近そういうことをまれに考える。過去の自分、もしくは息子だったらこの子のことが好きになったろうな、という回路を整備してそちらに思考の水を流し込むことで、停留、滞留を防ぐような感覚。



車の中で待ちながら、朝からやっていた学会のセッションのことを考えていた。セッションにはディスカッサントがいて、ぼくは会を回す役割をしていた。お題はなんとSNSなのである。時代も変わったなと感じたし、SNS関連のセッションでぼくにでかい役割を渡すこの学会のことが少々心配にもなった。印象的だったのはSNS全般に否定的な考え方を隠そうともしないディスカッサントの一人が思わず漏らした、


「私はリアルを大事にしたいので、SNSはやりませんしテレビもまずみません」


というセリフだった。「SNSをやり、テレビを見ている人は、リアルを大切にしていない」と信じ切っていないとこの言葉は出てこない。ぼくは今おそらくリアルに生きていない人間としてその目に映っているのだろうなと思った。「他人のリアルを想像しきれない人たち」というのは今この瞬間にも地下の至る所で軋む活断層である。


ディスカッサントは、自らをダイノソーに比した。絶滅しかかっていると言えば自虐に聞こえるだろう、それでこの場は収まるだろうと考えているようでもあった。自らを「旧時代の覇者」に例えていることに無自覚なのがおかしかった。おそらくどこまでもぼくはその人の中で殴られ続けるのだろうと思った。「こういう人はこうに違いない」と強固に組み上げられた虚構の外側にぼくの皮膚が塗りたくられ、雑な想像で「SNSに惑溺してリアルをおろそかにする馬鹿者達」という3Dモデルを空間に生成し、それを永久に殴り続けることで、フラストレーションという名のエントロピーが低下し、ある種の「秩序」ができあがって、骨格標本が往時のかたちに組み上がる。博物館でみる恐竜の骨は、往時に思いを馳せるのに役立つが、じつのところ、昔の生き物たちがどういう肌の色をしていて、どういう声で鳴いていたのかを、専門学術のないぼくは想像することが難しい。



井川遥が無料のレジ袋にぱんぱんに詰めた揚げ物を手にしたタイミングで、ぼくは店内に戻る。厨房では流暢な日本語をしゃべる男性が電話で注文を聞いている。ニラやニンニクのにおいは数日ほど車に残るだろうけれど、今日ここに来ていなかったらぼくはきっと悲しくて仕方がなかったろう。笑顔の井川遥に頭を下げて、恐竜ですらないクロマニヨン人は車のイグニッションを回す。