2021年5月10日月曜日

病理の話(532) 病気はその人だけのもの

「昨日、ぼく、ケガしたんですよ~」


「えっ、私もですよ。へえ偶然ですねえ。一緒ですねえ」


「ほんとだ、一緒ですねえ。じゃあお互いになぐさめ合いましょう」


「もちろんです。ちなみにぼくは突き指をしたんですよ」


「えっ、私は膝をすりむいたんですが」


「まるで違いますね」


「違いますね」


「ぼくは冷やしてます」


「私はバンソーコーをはりましたよ」


「やってることも違いますね」


「違いますね」


「「おなじケガとは言ってもね」」




世の中に「病名」というものが存在するばっかりに、「あなたの病気と私の病気は同じですね」みたいな勘違いがあちこちで生じる。


上の例はなんとなく笑い話的に読むことができるかもしれないが、これがたとえば「かぜ」になるとどうだろうか?


「あなたの風邪はどこから? 私はノドから」


というCMもあるように、かぜと言ったっていろいろあるのだ。


「がん」だって同じである。


大腸がんと子宮頚がんでは、関与している細胞も、必要な治療も、将来どうなるかという予測もまるで違うし、


さらにいえば「ステージIの大腸がん」と「ステージIIIの大腸がん」もまるで別モノで、


……ここまではけっこう知ってる人も多いと思うんだけど、次のはどうだろう?


同じ「ステージIの大腸がん」であっても、かかっている人が違えばそれはまるで違う病気なのだ。


大腸の中でも、横行結腸と直腸に出るがんではタイプが異なるし、


高齢者の上行結腸に出るがんは比較的若い人のS状結腸がんとは違うし、


「同じ年齢、同じ性別、同じ場所に出た同じステージの大腸がん」であっても、「組織型」と呼ばれるものが違えばふるまいは変わってくるし、


「組織型」が全く一緒だったとしてもがんの中にある遺伝子まで検索するとどこかは違っている。


このまま極論まで持っていこう。


仮に、遺伝子変異までまっっっっっったく一緒のがんがあったとしてもだ。


かかっている人間が違えば、人体内の「がんに対する防御機構」が異なるので、そのがんによってその人がどうなるかは変わる。




おわかりだろうか。世の中におなじ病気というのは一つとしてない。


病気と患者は一期一会だ。究極的なことを言うと、その病気、その患者ごとに、将来どうなるかは毎回違うし、有効な治療だって異なる。


でもそれでは医療なんてできない。患者が病院に来るたびに、一回一回ちがう対処をしていたら病院はパンクしてしまう(というかそもそも調べる内容が多すぎて治療までたどり着かないだろう)。


そこで、我々は、「ひとまずここまでは共通の手段で対処できるよね」というラインを見極め、段階を踏んで病気を分類していくことになる。



「がんと言ったっていろいろあるんだけど、ひとまず大腸のがんであれば大腸に詳しい医者が担当すればいいね。だからまずは大腸のがんであることを確認しよう。」

「大腸がんと言ってもいろいろあるんだけど、ひとまずS状結腸のがんだったらやれることはこれとこれってわかっているから、場所を確認しておこう。」

「S状結腸がんだってわかったら、そのがんがどこまで進行しているかを確認して、進行の度合いによって治療を変えよう。」

「S状結腸がん、ステージI相当ってわかったら、その病理組織像がどういうものであるかを確認してさらに細かく治療をアレンジしよう。」

・・・



なんかそういうことをやっている。「がん」だけで話が進むことってないんだよなー。