2021年5月19日水曜日

通り過ぎてきた嘘の数

昔ぼくがやっていたZ会の通信添削答案を、母親がとっておいてくれていた。カロリーメイトの空き箱を横に半分に切って作った手製の答案入れが、紙袋の中にいくつも入っていた。

高校2年、3年のときの答案。自分の字が今よりはるかにきれいで四角い。たしか通っていた塾の講師に「きれいな字で書いたからって点数が上がるわけではないが、汚い字で間違って読まれて点が下がることはあるし、なんかその、人として読みやすい字を書くように努力はしたほうがいいよ」と言われたのだった。それをぼくは少なくとも高校3年間の間はまじめに守っていた。

Z会の通信添削ではペンネームを用いる。ここに書くのは恥ずかしい。「将来恥ずかしく思うだろうと気づけないギリギリのラインの恥ずかしさ」がある。この恥ずかしさは、ここ20年間のインターネットにおいて、ある種の文脈として強調されたものであり、昔はそこまで恥ずかしくもないものだったとわかってもいる。黒歴史という言葉が生まれる前には黒歴史という概念自体がどうあったのか。文芸を探れば出てくるだろうがそれはあくまで現代に伝わった印刷物の表現の範囲内での理解であり、その時代にほんとうに流れていた空気がどうだったかをまるごとコピーしているわけではない。極端なことをいうと、紙がなかったころ、思い出話が口伝以外に根拠を持たなかった時代には、きっと黒歴史なんてものは存在しなかった。言った言わないの話が今よりもうちょっと不毛だったかもしれないが。

通信添削なので赤ペンの向こうには生身の大人がいたはずである。おそらく今のぼくとおなじくらいの年齢だったのではないかと想像する。今のぼくより若ければ本業が忙しかろう、かと言って大学生が添削するには書かれているコメントが優秀すぎると思った。世の中には優秀な大学生はいくらでもいるけれど、Z会で無数の会員に添削するほど優秀な大学生が潤沢にいたかというとそうは思えなかった。

当時のぼくは、通信欄にけっこうあてもないことを書いている。自我の発露だけを目的とした、プリクラに似た加工が過剰な生意気な日記。これに添削者はきちんと的を射たコメントを返していたので笑ってしまう。ぼくは確かにこのとき高校生で、大人になった自分があとを振り返って幼さを感じるなんて思ってもいなかった。

高校2年の段階で志望校は北海道大学医学部となっていた。これはこのまま3年の最後まで変わらない。ただし第2志望はそのときどきによって違った。東北、北九州、首都圏の私大、これらはいずれも行く気がなかった大学なのだがたぶん偏差値がどのように出るかを見てみたかったのだろう。そもそもぼくは北海道以外の大学に進む気がなかった。

時折、模試の結果によって計算された偏差値が書かれた紙が入っている。その偏差値はどれもこれも高すぎるように思えた。しかしちょっと考えたらタネがわかった。ぼくは、当時、「できた答案だけ返信した」のである。通信添削というのは期限内に返送しないと採点してもらえないし偏差値も付かない。やってみて難しくてちっともわからなければ、翌月まで待てば回答が送られてくるのでそれを使って復習をする。いつも数学が難しくてわからなかったので、添削までたどりついた数学の答案はちょっとしかないし、添削されているものはどれもこれもできがいい。当たり前である、できたと思ったから出したのだ。しかしこれをあとから振り返って、「なんだ、俺ずいぶん偏差値良かったんだな」と考えてしまえば事実誤認が発生する。別に誰も困らないので誤認してもよかろうが、タネまでぎりぎり覚えている時期に思い出を発掘したために、かつての自分を過剰に美化することができなくなった。

ある答案にぼくは「正月ですね」と書いて余白に筆ペンでネズミの絵を描いている。添削者はそれをみて「絵が上手なのですね」と返事をしているのだけれどこの絵はおそらく当時のぼくが買い求めた年賀状の絵柄をそのまま真似したものだ。ツイッターであればトレス疑惑で炎上しただろう。そしてきっとぼくと同い年くらいの添削者は、この図柄が真似ッコであることくらい見抜いていたに違いない。当時のぼくはそれに気づかなかったのではないかと思う。気づかないままに通り過ぎてきた優しい嘘の数を思う。きっとそれは数学的に有意だったろう。