2023年2月6日月曜日

病理の話(743) 比べてみようホトトギス

顕微鏡をみて、細胞のおりなす高次構造(アーキテクチャー)や、質感・キメ(テクスチャー)などから、これがいったいどういう性質の細胞かというのを考えていくのが、病理診断のキホンのキである。


なぜ形やキメの細かさから細胞の「性質」がわかるのかというと、過去に膨大な照らしあわせが行われているからだ。


――例:通常の細胞とくらべると細胞同士の繋がり方がおかしく、粘液の産生度合いが狂っていて、カタマリのあちこちで壊死に陥っている――


こんな細胞は、過去の科学の積み重ねによればがんであることがわかっている。放っておくとどんどん増殖して転移して患者の命を脅かすと予測できる。


太字にした部分が一番大事だ。細胞の形や模様がおかしいときに、病理医が「ああ、がんだなあ」と判断する根拠は病理医の直感や印象などではない。医学の歴史が積み重ねてきたデータと照らし合わせ、「こういうパターンが見られたらがんだよ」という研究結果がわかっているときのみ、顕微鏡を診るだけでがんかがんじゃないかが判断できる。


ただ……直感や印象「を根拠として診断を決める」わけではないが、直感や印象「が診断のプロセスにかなり影響する」ことは、ままある。


たとえば、膨大な量の診断=照らしあわせをしていると、必ず「迷う例」が出てくる。

見比べるという行為は、似ているところを探す行為だ。パターンがすごく似ていれば迷わない。しかし中途半端に似ていれば迷うだろう。さらに言えば、モノマネ芸人の例をあげるまでもなく、「姿かたちはめちゃくちゃ似ているんだけど、中身はそもそも別人」というケースもある。

そういう「迷い」を払拭するために、病理医は、なるべく多くの「過去のデータ」を知っていなければいけないし、必要に応じてそのような根拠をすばやく探し出す能力が求められる。しかしいつもいつもうまくいくわけではない。

パターンとパターンの狭間のような症例にたまに出会う。このような見た目を根拠として採用すれば「がんっぽい」が、あのような見た目を採用すると逆に「がんじゃないっぽい」なあ……なんてことはそれなりに生じる。

そういうときは、過去のデータと比べるにあたっての視点を増やすとよい。たとえば、プレパラートに乗った細胞にはH&E染色という手法で色が付けられているが、これを別のものに変えてみる。H&E染色は、細胞内にある核とそれ以外の物質とで微妙に電荷が異なることを利用して細胞の色を染め分けているのだけれど、ほかにも染色方法はある。粘液を見やすくする染色、弾性線維(だんせいせんい)を見やすくする染色などを使った方が、その人に何が起こっているかを「過去のデータと見比べやすい」こともあるわけだ。



というわけでとにかく比べる、比較する。照らし合わせる。これが科学的な診断において絶対に忘れてはいけないことである。しかし、こう書くと、誰しもが思い付くことがある。


「完全に未知の病気だったらどうするの?」

「今までわかっていなかった病気だってあるでしょう? たとえば、新型コロナみたいに」


つまり比較する対象がないことはないのか、ということだ。結論からいうと、「未知の病気であっても既知の病気と比べる」のが大原則である。新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)はもともとあったSARSコロナウイルスなどと比較されて研究が進んでいったのは記憶に新しい。


比べることがベースにある。孤高の独断というのは存在しない。そして、比べ続けていると、たいてい、「過去にデータをこうやって扱っていたけど、今はこういう解釈をしたほうがいいかもな……」みたいな反省も出てくる。そうやって科学は常に刷新されていくのだ。