2023年2月7日火曜日

原基があれば何でもできる

年末年始に体力を戻してから、今年こそは急がずあわてずゆっくり働こうと思ってやってきたのだが1か月で仕事に追いつかれた。朝、一日を俯瞰して、だいたいこういう感じのスケジュールになるだろうなと思っても、昼すぎには新たな予定がいくつも入ってきて、夕方くらいには朝思っていたのとは違うやりかたで仕事をしている。

一息ついたときにタイムラインを見ても、Twitterのアルゴリズムが変わったせいか、前ほどには達人の読書感想文や脱力したネタツイが飛び込んでこない。以前はもう少しぼくの癒やしにフィックスしていたが、今のタイムラインからは基本的に違和感を受け取る。「あれっ」「おやっ」がくり返される。

経営陣が商売としてTwitterを存続させようと思うなら当然の戦略だろう。

いつもと同じメンバー、代わり映えのない話題、強いイベントがなくバトルも起こらない日常系アニメのようなタイムラインでは、人も金も動かない。そこには違和があるべきだ。行動と課金のきっかけとして。

今のSNSは違和感の巣窟である。差異を強調する場所。

差異とは水位の差だ。高い方から低い方にエネルギーが移動する。右が高くなることもあれば左が高くなることもある。差異のある場所でぼくらは何かを手に入れたり、与えたり、奪われたり、かすめとられたりする。うねる水流。撹拌される社会、欲望、自由。かき混ぜられて泡が立つ。油分は泡になることで香りをまとい、味になる。

だから誰もが差を作り出そうとする。

ところで我々の脳にはおそらく本能的に、ルーティンの平穏で安心したいと感じる部分がある。差異ばかりでは疲れてしまうから? いや、非ルーティン的なものへの注意力を高めるためではなかろうか。いつもと違う人が現れればそれは敵かもしれない。いつもと違う味がすればそれは毒かもしれない。差異を鋭敏に感じ取るために、ふだんは五感を平板に保つ。ベースとして不動の領域があって、ときにあらわれる違いの部分が際立つ。

朝に思い描いていたものとまるで違う仕事をしている夕方に、いつもどおりのタイムラインを期待してTwitterを開いても、そこから違和感ばかり受け取るようになった昨今のぼくは、だから前よりも疲れている。細かな差異にいちいち気づけなくなっている。敵と味方の区別が付きづらくなる。毒と薬が同じ顔に見える。基準を取り戻したほうがいい。原基を定めてはじめて世界が定量できるのだ。