2023年2月27日月曜日

病理の話(750) いつもと違うとわかっただけでラッキーである

顕微鏡で見た細胞の姿が、あまり記憶にない。

いつも診断している病気とどこか違う。

ああ、と小さく声を出して、いったん顕微鏡から目を離して少し考える。

これはわかるまで時間がかかりそうだなあ……と思う。きちんと診断を付けることができるだろうかと、少し不安にもなる。いかにも難しい細胞像だ。



しかし、じつは、この時点で少しだけ安心している自分もいる。このニュアンスは非常に細かいががんばってついてきて欲しい。

なぜ安心しているのか。それは、「いつもの病気じゃない」ということがわかっているからだ。

やばい、難しい、しっかり調べなきゃ! と気合いを入れている時点でかなりラッキーである。



じつは、病理医の誤診で最悪のパターンは、「難しくて診断を間違えた」ではなくて、「いつものアレだと思いこんでいたが、じつはアレじゃなかった」というものだ。

この場合、病理医は、診断の時点で「間違うのが怖いなあとすら思っていない」。いやな症例だとも難しい症例だとも気づかないまま、いつものやつだと判断して堂々と誤診しているのである。自分がやらかしたことに気づいていない。

あとになって、患者の経過が予想していたものと違うとか、一般によく効くはずの治療がぜんぜん効かないなどの指摘をうけて、あわてて見直してはじめて気づく。

マジで怖い。

「診断が難しい」ならば、報告書にそう書いておけば主治医も患者も(困惑しながらも)納得してくれる。しかし、こちらがいつも通りに出した診断がときどき間違っているとなると……ウウ、今こうして書いているだけでも背筋がぞっとする。


「ああ、いつものやつだな」と誤認することこそを病理医は怖れる。

だから複数の病理医の目でダブルチェックをかけたり、過去の誤診例などを飽きずに勉強して(「しくじり先生」である)、日々、誤診が減るように努力をするのだ。



一般に「細胞の顔付き」などと呼称される、細胞像。

・核のサイズ

・核の形状

・細胞質のかたち

・細胞質の色合い

・細胞内含有物

・細胞膜の様子

これらを見ることで、細胞の持つ性質や由来などを見抜くのが病理診断である。


さらに言えば、「顔付き」だけではなく、「ふるまい」も見る。顕微鏡で集められる情報はとても多い。こちらの細胞は徒党を組んでカタマリを作っているとか、あちらの細胞は一列に並んでいるとか、その細胞はあたかも試験管のような構造を作っているとか、そことそこの細胞は結合性が弱くてあまりくっつこうとしない、など……。

本来、人体の中では細胞が秩序を持って適材適所に、さまざまな構造を形成して仕事に励んでいる。しかし病気になると、「ふるまい」がおかしくなる。増えてはいけないところで増えたり、本来入ってはいけないところに入り込んだりするから異常とわかる。


「顔付き」や「ふるまい」を見ながら、この病気は「胃の印環細胞癌」だとか、こちらの病気は「大腸癌の転移」だとかいったように診断をしていく。しかしこのとき、病気の細胞ばかりをクローズアップしていると間違える。Aという病気によく似たBという病気。Cという病気によく似たDという「病気ですらない変化」。

印環細胞癌は炎症によって破壊された幽門腺と似るし、脂肪を貪食したマクロファージにもどことなく似ている。大腸癌の転移だと思ったがどうも調べてみると大腸癌なんてこの人にはそもそもないらしい、まてよ、冷静に、慎重に、あらゆる情報を総合して考え直すとこれは子宮内膜症だ……。


アレとコレが似ているから気を付けなきゃ、という注意喚起には終わりがない。Myxoid fibrosarcomaとmyxoid liposarcomaが似ているのはまだわかるが、浸潤性膵管癌の初期病変かと思いきやintraductal tubulopapillary neoplasm, high-gradeの初期病変でした、みたいなのになると9割の病理医が「何を言っているんだ?」と思うだろうし、肝細胞癌と同じ顔付きをしているがよくみるとそこかしこに肝細胞腺腫の雰囲気が残っているってことあるよねなんていうと9割5分の病理医がヤメテクレッと叫ぶだろう。


だから……病理医はずっとしんどい。勉強し続けないと怖くてしょうがないのである。

顕微鏡を見て、「あっこれは難しい病気だ、見たことのない病気だ」と思うとき、どこか安心している自分がいるというのも、今となってはみなさんなんとなくおわかりなのではないか。「難しい」とわかっていれば対処のしようがある。遠隔コンサルテーションでもなんでも使って有識者の意見を聞きながら、主治医ともじっくり相談して話を進めていけばいい。もちろんこれだって簡単ではない、ストレスでもある、大変だ、しかし! いつものアレだという誤診ほど怖いものはない!