2017年3月31日金曜日

病理の話(64)

何回説明されても、実際に自分で手を動かしたり考え続けたりしていないとなかなか身につかないもの、というのがある。

それはたとえば、ぼくにとっては、「血液ガス検査」である。田中竜馬先生の本を買って勉強して、そのときはわかった気になるんだけど、現場で運用しているわけではないぼくは、しばらく時間が経つと知識が穴だらけになってしまう。(でも、現場にいるひとにはすっげえいい本ですよ!おすすめ!)

市中感染と院内感染、それぞれの感染臓器の違いとか、起因菌の違い、抗生剤の使い方などもそうだ。きっちり知っておいたほうがいいに決まってる。でも、実際に患者さんを診ているわけではないぼくは、こういうのをすぐ忘れてしまう。

ひるがえって、病理の知識。これは、おそらく多くの医療者にとって、

「勉強しようと思えば勉強できるし、覚えることもできるのだけれど、日々プレパラートをみていない限りは、忘れてしまうもの」

なのだろうな。先ほど、ふと気がついた。



手が技術を覚える、というときがある。くり返しくり返し、動作を反復することで、最初はじっくりと考えないと動かせなかった手が、次第に無意識に動くようになっていく、というあれだ。

脳は、同じ動作を反復すると、おそらくなのだが、その動作に使ったニューロン・シナプス同士がうまいこと関連づけられて、セットですばやく動くようになる。

最初は、部屋のあちこちにあるクローゼットをひとつひとつ開けて、必要な工具箱を取り出し、異なる中身を順番に取り出して日曜大工をやっていたのだが、動作を繰り返すたびに、必要な道具をまとめてしまえるようになってくる、みたいな感じだ。

習うより慣れろ。

これと同じ事は、手とか足だけではなく、脳そのものを使うときにも起こっている。

だから、日々なにかに従事し続けている人の方が、知識が身になっている。知恵になっていると言ってもいい。



病理診断報告書に、ときおり、「結果」だけではなく、「説明」を添えるようにする。説明をだらだら書いても臨床医は読んでくれないよ、といろいろな人に言われたが、ボスはときおり、手短ながらも「なぜそう考えたか」という説明を書き足している。ぼくも、それを真似している。

10年、同じような所見を書いている病気もある。もうそろそろ臨床医も見飽きたんじゃないかと思っていたが、こないだ、件の臨床医と話をしていたら、こう言った。

「先生がときどき書いてくれるあの所見、こないだ講習会で見たんですけど、ぼく、あれ、なんかわかりましたよ。わからないままに読んではいたんですけど、わかるようになってました(笑)」



「納得してもらえるような説明」をするには、表現方法をブラッシュアップするとか、テイクホームメッセージを絞るとか、絵やシェーマ(模式図)を用いるとか、いろいろなやり方があるわけだが……。

何より、「反復する」という作業も大事なのかもしれないなあと思う。だから、今日も、所見の最後のところに、ちょっとだけ説明書きを添えるようにする。