2019年11月5日火曜日

NEO-GEOのすごい社長感

かつて『本の雑誌』にベストセラー温故知新というコーナーがあり、ベストセラーなんて怖くない、というタイトルで書籍化もされた。芸能人本みたいなのから、トットちゃん、ビジネス書、とにかく100万部近く売れた本を懐古する企画で、入江敦彦さんの文章がとにかくうまいので楽しく読んでいた。

今、そういうのをたまに思い出している。



大型書店で平積みになっている本を少々信用しすぎた。ここしばらく、平積み系の本が立て続けに自分に合わなかった。立て続けに、というのを具体的に書くならば4冊連続。ただしその前に又吉直樹の『人間』を読んでこれはとてもおもしろかった。

そういえば母も『人間』を読んだそうなのだが、母はつまらなさそうにしていた。つまり本というのはそもそもそういうところがある。合う人と合わない人がいて当然である。だからぼくが平積み型読書に4回連続で失敗したからといって本屋が悪いわけじゃない。

ベストセラーったって、今や1億人が暮らす中で10万部も売れれば大ヒットであり、つまり1000人に1人にぴったりハマれば「世の中で流行っている本」ということだ。1学年に150人くらいが暮らすいまどきの小学校であれば、1年生から7年生(?)まで集めてきて校庭にならべて「この本好きな人~」と言ってひとりが手を上げるならその本は大ヒットする可能性がある……まあ今のたとえは年齢がすごく限られているから本当は不適切なのだけれど。それ以前に7年生とか言ってる時点で不適切だけど。



それにしても。

実際に売れてる数はともかくとして、出版社とか書店が大盛り上がりしながら「世でバカ売れしていると言いたくなるタイプの本」になんらかの特徴があるのだろうかと調べることはそこそこ楽しい。仮に1000人に1人、2000人に1人程度のバカ売れであっても、平積みにまでたどり着いた本にいったいどういう魅力があるのだろうか。ベストセラー温故知新を読むことでいくつかの知見は得たが、インターネット文脈がここまで書籍の世界に混じり込んでしまうと、今は今で別の事情が加わっていそうである。

最近ひとつ、昔は考えていなかった「売れている本の理屈」を考え付いたのだが、あまりに雑な考え方なのでここで書いておく(すばらしいアイディアだったらきっと大事にあたためて人前で発表しただろう)。



今は、「社長になりたい副社長」に向けて書いた本が売れているのかなーと思う。



具体的には、読者として一般市民を想定して書くのであっても、ある副社長がこのメソッドによって成功して社長になったよ、みたいな「副社長エピソード」を選んで濃厚に書く。一般市民に売るために一般的なエピソードを選ばない。ただし教訓だけは微妙に一般向けにしてある。

こないだ読んだビジネス書がまさにそういうやつで、鼻からへんな息がもれた。ときおりむやみに「これはPTAの会合でも使える」みたいに不自然に話を拡大するフレーズが挿入されるのでかえってよくわかった。副社長(になるくらいの能力があって運があって金周りもいい人)が社長になるための技術、夢と成功の臭いがする。(おそらく自分は副社長にはなれるだろう、しかし問題はその先にあるんだ……)なんて、ひそかに自負するまでは人間だれでもやるだろう。「副社長まではなれること前提」とはなかなかすごい話だが、人前で吹聴するのでもない限りは誰もが似たようなことをちょっっっとだけ夢想したことはあると思う。知ってか知らずか、最近の売れる本(の一部)はそういう書き方をしているように思えた。




なお、こういう書き方をした本は、副社長とか社長が読むとぴったりハマルことがある。すると彼らはSNSで言うわけだ、「いい本だった」。それはわりと本心だろう、だって元来、副社長が社長になったときのエピソードを書いているわけだから……。で、どこぞの社長がいい本だと言ったらそれは売れるポテンシャルがひとつ上がる。イチローが本を書いたとしてそれを巨人の坂本が読んで「おもしろかった」とどこかで言ったらバク売れするだろう。でもイチローの言葉を坂本が噛みしめるのと、それをぼくが読んでおもしろいと思うかどうかは本当は別の話なのだけれど……イチローについても坂本についても興味があるぼくはそういう本を買ってしまうと思う。



でもぼくは結局社長でも副社長でもないので、副社長→社長メソッドについてはあまり興味がもてないのだった。なおいまどきの本はあまり副社長とか社長とか書きません、たいていCEOとかCOOとかCO2とか書きます。