2019年11月25日月曜日

午前2時の暗中模索

最近は出張ばかりしているけれど来年はあまり出張しないことになっている。

対外的な仕事のほとんどを断っている。

なぜかというと、ぼくが出世するからだ……と書けば、多少はポジティブなイメージが出るかな?




来年の春、上司が退職する。定年を前にして、ほかの病院にうつる。

そのために来年度からぼくの仕事が増える。いつかはこうなるはずだったわけで、5年くらい早まったところで大差はない。粛々と対応していくしかない。

人が減り、責任が増え、あまり外に出歩けなくなる。

加えて、ぼくが長年師事してきた方の大ボスも、もうすぐ退職する予定だ。

あと2年くらいで、一気に「上」が2名抜ける。いよいよ、もう、あまり出歩いてもいられないのである。

来年ぼくは42だ。そろそろ管理職であってもおかしくない年齢。もっとも、病理医の世界はベテランがかなり多いので、42だと若造なのだけれど。社会的にはいいタイミングだろう。




今年、あちこちの学会や研究会に、「そろそろ出られなくなります。」とお別れをいう機会が増えた。着々と病院にこもる準備を進めてきた。

人々はいう。

「まだ若いのに、引っ込むなんて」。

「これからって時なのに」。

確かにね、ぼくは外でいっぱい仕事をしたけれど、何を成し遂げてきたわけでもない。もっと専心すべきなのかもしれない。外で働くなら、まだまだ、これから達成すべき点は山ほどあった。

けれども病理医は必ずしも外で働くべき仕事ではない。

もっと、1年に1報ずつ症例報告を丹念に積み上げていくようなスタイルで、きっちり仕事をしてくるべきだ。

落ち着いて、自分の足場を固める。加えてこれからは後輩を育てることも大事だろう。

病理の世界にはめったに後輩がこないので、今までは育てようにも人がいなかったのだけれど、最近はフラジャイルのおかげで病理医の人気も上々だ。何人か仲の良い後輩もできた。

つまりもう引っ込むべきなのだ。

何度も何度も自分に言い聞かせている。書いた方がいい論文がいくつかある。事務仕事も山積み。ひとつひとつ丹念に片づけていく。正直、外に出る暇はもうない。

けれどもなんなんだろうなあこのよくわかならいむずがゆさは……。






定期テストをひかえた中学生が勉強もせずにゲームに没頭しているのと何が違うのか、と言われたら、確かに、ぼくは、なんとなく遊びたいだけなのかもなあ、と思わなくもない。

けどぼくけっこう外でしゃべる仕事をまじめにやってきたんだ。

今更、ほんとうに今更だけど、「しゃべって伝えるほうの職能」が、それ以外のぼくの「寡黙なほうの仕事」を支えていたのだなあということに気づく。

まあもうどうしようもないところはあるんだ。

けれども、なんか、裏技のように、今まで以上に外で仕事をする方法はないものかなあ、と、暇で暇でしょうがない夜更けにぼんやり考えてしまうこともある。