対外的な仕事のほとんどを断っている。
なぜかというと、ぼくが出世するからだ……と書けば、多少はポジティブなイメージが出るかな?
来年の春、上司が退職する。定年を前にして、ほかの病院にうつる。
そのために来年度からぼくの仕事が増える。いつかはこうなるはずだったわけで、5年くらい早まったところで大差はない。粛々と対応していくしかない。
人が減り、責任が増え、あまり外に出歩けなくなる。
加えて、ぼくが長年師事してきた方の大ボスも、もうすぐ退職する予定だ。
あと2年くらいで、一気に「上」が2名抜ける。いよいよ、もう、あまり出歩いてもいられないのである。
来年ぼくは42だ。そろそろ管理職であってもおかしくない年齢。もっとも、病理医の世界はベテランがかなり多いので、42だと若造なのだけれど。社会的にはいいタイミングだろう。
今年、あちこちの学会や研究会に、「そろそろ出られなくなります。」とお別れをいう機会が増えた。着々と病院にこもる準備を進めてきた。
人々はいう。
「まだ若いのに、引っ込むなんて」。
「これからって時なのに」。
確かにね、ぼくは外でいっぱい仕事をしたけれど、何を成し遂げてきたわけでもない。もっと専心すべきなのかもしれない。外で働くなら、まだまだ、これから達成すべき点は山ほどあった。
けれども病理医は必ずしも外で働くべき仕事ではない。
もっと、1年に1報ずつ症例報告を丹念に積み上げていくようなスタイルで、きっちり仕事をしてくるべきだ。
落ち着いて、自分の足場を固める。加えてこれからは後輩を育てることも大事だろう。
病理の世界にはめったに後輩がこないので、今までは育てようにも人がいなかったのだけれど、最近はフラジャイルのおかげで病理医の人気も上々だ。何人か仲の良い後輩もできた。
つまりもう引っ込むべきなのだ。
何度も何度も自分に言い聞かせている。書いた方がいい論文がいくつかある。事務仕事も山積み。ひとつひとつ丹念に片づけていく。正直、外に出る暇はもうない。
けれどもなんなんだろうなあこのよくわかならいむずがゆさは……。
定期テストをひかえた中学生が勉強もせずにゲームに没頭しているのと何が違うのか、と言われたら、確かに、ぼくは、なんとなく遊びたいだけなのかもなあ、と思わなくもない。
けどぼくけっこう外でしゃべる仕事をまじめにやってきたんだ。
今更、ほんとうに今更だけど、「しゃべって伝えるほうの職能」が、それ以外のぼくの「寡黙なほうの仕事」を支えていたのだなあということに気づく。
まあもうどうしようもないところはあるんだ。
けれども、なんか、裏技のように、今まで以上に外で仕事をする方法はないものかなあ、と、暇で暇でしょうがない夜更けにぼんやり考えてしまうこともある。