友「病理の専門医番号って、あれ、専門医になった順番のことなの?」
意図はよくわからないが質問にはすぐ答えられる。すぐに返事をする。
ぼく「そうだよ。基本は合格した順。俺は2700番台だ」
友「そうかありがと」
一往復半でやりとりは終わったが、しばらくして追加のメッセージが入っていた。
友「たまに現場で病理のレポートを見るんだけど、その専門医番号が書いてあって、番号が若い方が書き方が丁寧でわかりやすいように思う」
ぼくはこの短いメッセージを読んで虚を突かれた。
ぼく「番号が若い方? つまりそれはだいぶ年寄りだってことだ」
友「そうなんだ、紙のレポートしか見てないからそれはわかんない。けど番号が3ケタだったりすると、だいたい読みやすくて、私が読んでも意味までよくわかる」
すこし考えて、このように答えた。
ぼく「昔、病理医は、臓器や細胞をみたら、そこで起こっていることをすべて文章にしてレポートの中に書いていた。その後、『取扱い規約』などが出てきて、現場のドクターたちがわかりやすいように、かつ、必要な情報が毎回同じ書式で手に入るように、記載が箇条書きになっていったんだ。」
すると彼女はほとんどノータイムで答えた。
友「箇条書きよりは説明の文章があったほうがわかりやすいわなあ。私たちは患者が持って帰ってきたレポートを見るだけだから、治療の方針を決めたりしているわけじゃないし、医者が読みやすいかどうかはともかく、患者からしたらきちんと文章で説明されていたほうがわかりやすいと思うけど。私の場合ね」
ぼくはメッセージのやりとりが終わった後もしばらく考えていた。
病理医は患者と会わない仕事だ。コミュニケーション相手は基本的に医者。主治医の採ってきた検体を顕微鏡でみて、主治医に答えを返す。だからレポートの内容は、専門の医者が読んで役立てることを前提として書く。
世界中の医者や統計学者たちが積み上げてきたエビデンスを有効に使うために、がんの診断をするときには、TNM分類や取扱い規約分類の様式に従ったレポートを書く。がん以外でも、診断基準項目を羅列してチェックマークを入れていくようなスタイルを選ぶ。そのほうが、主治医にとっては便利で、喜ばれるからだ……。
でも。
ま、わかってはいたけど。
患者もレポートは読むんだよなあ。
昔ながらの病理医のほうが、レポートの文章が読みやすかったというのは、昔の病理医たちは今よりもずっと細胞の性状を「描写」する訓練を受けていたからだと思う。ぶっちゃけ今の病理診断は細胞ひとつひとつのカタチをいちいち書くほどの余裕はない。けれども、昔取った杵柄、言葉のはしばしに、「伝わる表現」があるのだ、きっと。
温故知新とはこのことか。
ぼくはさっき自分が書いたばかりのレポートを読み返していた。
箇条書きのスキマを縫うようにちょっとだけ書き添えた、「所見」の数々。
所見とは細胞の所信表明演説みたいなもので。
そういえば、マンガ『フラジャイル』には、「岸京一郎の所見」というサブタイトルがついていたっけなあ。
うーん。