2017年8月15日火曜日

病理の話(110) よくできた劇薬封じ

人間の体の中にはときおり、そんなもん出すなよ、という劇薬が作り出されている。

例として、胃液とか膵液とか胆汁など。

胃液には「胃酸」が含まれているけどこれはつまり塩酸なのである。理科の実験で使うやつ。それもけっこう濃いのだ。

そんなものを体内で作り出してたらえらいことになるだろう。内部からとけてラスボスみたいに消えてしまっては困る。

では、塩酸まで使って何をするかというと、これがなかなか有効で、食べ物を粉々にするはたらき、プラス口から入ってきた病原菌などをぶち殺すはたらき、その両方があると言われている。



しかし、塩酸を常にぽちゃぽちゃ持ってる胃というのは、いったいどうなっておるのか。消化管(胃腸の管)の中でもかなり特殊であることは間違いない。

口から肛門まで、消化管というのは繋がっているわけで。

胃に分泌された塩酸が、食道の方に戻っていったら、食道の壁がヤケてしまう。

小腸の方に降りていったら、やっぱり十二指腸がヤケてしまう。

これでは困る。では、どうやって塩酸を胃に留まらせようか?



胃の入り口には、噴門(ふんもん)と呼ばれる関所がある。

胃の出口には、幽門(ゆうもん)と呼ばれる関所がある。

この二つの関所が、胃の中にものを留める役割をする。具体的には、筋肉の力をつかってギュッと出入り口を絞る。

そうすれば胃の中身はもれない。

食べた後、多少運動しても、食べ物を吐かなくて済むのは、噴門のおかげだ。

食べものが、胃にある程度の時間とどまって、十分に塩酸で破壊されるのは、幽門のおかげだ。



それでも、これらの関所はずっと閉じっぱなしではない。いつかは必ず食べ物が通過する。

そしたら、食べ物といっしょに塩酸も出入りしてしまうだろう。これに、どう対処するか?



胃の入り口と出口にはそれぞれ「非常に小さいスプリンクラー」があって、塩酸を中和する粘液が分泌されているのである。入口のほうには「噴門腺」、出口のほうには「幽門腺」。

特に、出口側(十二指腸の方向)は、毎日必ず食べ物といっしょに塩酸も通過することになるので、幽門腺のほうが噴門腺よりもはるかに多く配置されている(噴門腺は痕跡程度しかないこともある)。

しかも、スプリンクラーは胃だけではなく、十二指腸にも配置されている。幽門腺とかたちはそっくりなのだが、名前だけが「Brunner腺(ブルンナー腺)」と変わる。



すごいきちんとした調節があるのだ。そうまでしても、塩酸を使うメリットがあったんだろうな。



さて。入口と出口に、塩酸を中和するスプリンクラーをそれぞれ発生させる機構は、なかなか複雑であるが、DNAによるプログラムはこのへんをうまく解決している。




こんな話を聞いたことがあるだろうか?

「沖縄に長く暮らす人々と、北海道の先住民族であるアイヌ民族は、顔付きが似ている」……。

もともと、日本列島に住んでいたひとたちは、いわゆる沖縄顔とかアイヌ顔だったのだが、そこにユーラシア大陸からいわゆる「大陸顔」の人々が移り住んできて、日本を中央から占拠し、元いた人々を北と南においやった。

だから、沖縄とアイヌ、とても離れているけれど、どこか顔立ちが似ているのだ……。



実は胃の入り口と出口にある「噴門腺」と「幽門腺」も、よく似ている。というか顕微鏡でみると区別がつかない。

つまり、発生の過程では、噴門腺とか幽門腺は最初「近くにいた」のだろう。ところがそこに、大陸顔ならぬ「塩酸部隊」がやってきて、二者を引き離しながら胃を作る。

そうすれば、入口と出口に同じ機能をもつ細胞が分布していることの説明がつく……。



このへんは「発生学」とリンクする。胃の発生は実際に上記の過程をたどっている。


細胞を観察して、「機能」と「類似点」に着目すると、生命が発生した期限まで想定することができる……できたらいいな……まちょっとは想像しておけ、というお話。