稲で、すなわち、米のことを考えようと思った。
「朝ご飯、ごはんにする? パンにする?」
よく考えたら不思議な言葉である。ごはんが二度きみのドアをノックしている。
「朝ご飯、お米にする? パンにする?」
ならわかる。けれど、「朝ご飯はごはんにするかな」なんて、よく考えたら、馬から落ちて頭痛が痛いような言い回しなんだけど、自然に使ってしまっている。
「ごはんが ごはんが すすむくん」をパンにつけて食が進んだという例はあるのだろうか。
「ごはんですよ」をラーメンに乗せるのは……アリだろうが……まあ最初に考える事とは思えない。
「ごはん」ということばが「米のめし」というニュアンスを包含しているのは日本語だけなのだろうか?
日本人がみな米を食うようになったのは最近だと思うのだが、それまでは「ごはん」という言葉は存在したのか?
「御飯」すなわち「ありがてぇめし」だから、最初から米のめしのことを指していたのかもしれないな。
それがいつしか、「朝ご飯」「昼ご飯」「晩ご飯」などと、食事そのもののことを指すようにシフトして。
「今日の朝ごはんはパンです」みたいなファンキーな言い回しが生まれてきたのかもな。
「今日のご飯はナンカレーよ。」のひとことに含まれた複雑な歴史と矛盾を思うと、腹が減ってくる。
そういえばぼくは、食事のことを扱うコラムとかブログ記事の中に「腹が減ってくる」というフレーズをみると、あまりの陳腐さにブラウザを閉じてしまうタイプの人間だったのだが、実際、ご飯のことを考えていると、腹は減るものだなあと思うし、今までブラウザを閉じてしまった人々の記事には悪いことをしたなあと思う。