誰のためのサービスなんだよ、みたいなことを考えていると、たとえばTwitterで「いいね!がタイムラインに流れてしまう仕様は誰のためか」ということに思いが及ぶ。
誰かが「いいね!」と思った、取っておこうと思った、大事に思った、少なくとも相手に悪意はないことを伝えようと思った、みたいな感情の流れを、狭いクラスタ内でやりとりするのに、Twitterは便利だけれど、当のTwitter社からすれば、「人々の興味をストーミングして、そこに商売がうまれてくれないと困る」のである。
だれかがいいねと思ったものが高速でシェアされる場所、だからこそ、広告が付いて、ようやくTwitter社が喜ぶのだ。
つまり、「いいね!がタイムラインに流れるのは、Twitter社のためになる」のである。ユーザーにとってはさほど役に立たない。
もっとも、ユーザーにとっては、Twitter社がなんらかの形で利益を得て、ずっと続いてくれないと、このだらしなくも居心地がよい場所そのものが失われてしまうわけで、遠回しにはTwitter社の利益はユーザーの利益に結びつく。
病院の受付がオープンするのは朝7時半からです。それより前にいらっしゃった方は待合でおまちください。このように言うと、「おまえら早く来てるんならさっさと受付を開始してくれよ」と怒る人というのが必ずいる。
「患者が来ているから、受付を早く開ける」なんてのは、患者のためにはなるだろうけれど、病院職員のためにならない。そりゃあ具合悪くて病院に来ている人だ、多少フレキシブルに対応したいと思うのはやまやまだが、サービスを提供する側がつらみを飲み込んで、疲弊して働き続けていればいつか必ずサービスそのものが破綻し、結果的に多くの患者を困らせることになる……。
だから、普通に歩いて病院に来ている人が「早く受付を開けろよ、サービス悪いなあ」と怒っても、すみません、こちらもこれで回さないと大変なんですよ、と言う(あるいは言わずに謝る)しかない。
ぼくはTwitter社がいいね!をTLに流すのと、病院職員が決まった時間に出勤して決まった時間に帰るのは、似たニュアンスだなあと思うのだ。
別にそれ、クライアントのためではなくてぼくらのためだけど、なんか、許して欲しいんだよなあ、ってかんじ。
さあてぼくは最近、どんな不満を「サービス側」に持ったかな。
コンビニに気に入ったおにぎりがなかったとか。
ガソリンスタンドが早朝に空いてなくて困ったとか。
自動車保険料が値上げされてて悲しかったとか……。
プンプンするのも手だけれど、少しだけ考えを深くしてみるのもありかなあと思うのである。