2017年8月23日水曜日

病理の話(113) 病理医と新しいコミュニケーションのかたち

「病理医は客商売である」と感じる瞬間がけっこうある。



大学院を出て、今の病院に勤めてから、すなわち現場のいち病理医として働き始めてからは、その思いが非常に強くなった。

学生時代や大学院時代までは、病理診断とは「脳だけで働く仕事」であり、手技も処置もしないで、ひたすら顕微鏡と語り合う、沈黙のタスクだと思っていたが、実際には

・クライアントがいて
・何かを要求され
・プレゼンをして
・納得してもらう

という仕事であった。

クライアントとは医療者である。要求とは「この人の病気を詳しく知りたい」ということ。プレゼンとは病理診断報告書やカンファレンスでの説明である。




多くの医療者は病理医に言う、「患者を相手にしない仕事だから~」「患者を相手にしない仕事はいいよな~」「患者を相手にしない仕事でモチベーション保てるの~」……。

ぼくらは、患者と全く相対しないが、医療者を相手に仕事をしているのだ。心配には及ばない。





ただ、病理医の中にも、違う考えの人はいる。

「顕微鏡だけ見ていれば仕事ができる」と考えている病理医も実際にいる。

そういう病理医が勤める病院では、かなりの高確率で、

 ・臨床医が病理医に興味がない

 ・病理医も臨床医に興味がない

という、ウィンウィン? の関係が成り立っている。

それでも医療は回る。それでも患者は治る。

だから、ぼくは一概に、「人とのコミュニケーションを放棄した病理医は悪である」とは思っていない。




毎日おいしいものを食べなくても生きていける。

しょっちゅう楽しいテレビを見なくても暮らしていける。

どこかに旅行に行かなくても人生は続く。

病理医がコミュニケーションしなくても臨床は回る。





ぼくは、「患者とのコミュニケーションに自信がない人」に、病理医になってはどうかと勧めることがある。その人と話す。患者と話すのは辛いか、苦しいか、自分に合わないか、いろいろと聞いてみる。

最後に、「でもまあ、今こうして、ぼくと話す分にはそこまで苦しそうじゃないよね、あなたは」と問いかけてみる。

「まあ、患者でなければ、はい、それなりには。」

「だったら、あなたは医療者と会話する道を選べばいいように思う」





患者とのコミュニケーションと、医療者とのコミュニケーションでは、使うスキルが微妙に異なる。得意、不得意のありようも少し違う。

医療者とのコミュニケーションが辛い、というタイプの医者もいる。

ただし、ぼくは思う、顕微鏡をみて組織像とコミュニケーションすることができる人間であれば、きっと医療者とのコミュニケーションだって、たどたどしくも続けることはできるだろう、と。

上手じゃなくてもいいので、会話をしてほしい。

たまにでいいので、医療者と会話をしてほしい。





病理医は客商売である。ただしその客は身内である。比較的、寛容な身内である。

そういう世界があることを知っておいてほしい。医学部にいる、1%くらいいる、君のような人、早朝にツイッターのリンクからブログを見に来るような人に。患者じゃなくていい、医療者を相手に話せばいい、なんなら細胞や分子と語り合うのでもかまわない。

コミュニケーションは社会がいうほど一様なスキルではないということを、少なくともぼくは知っている。

他人の定義した「コミュニケーション」がへたであっても一向に構わない。

もっと広義のコミュニケーションを試してみてはどうか。

病理検査室ではそれができる。