替え歌をツイートしたら「それ、嘉門達夫さんのネタにありますよ」と言われてフラッシュバックが生じたのだが、こんな妙ちきりんな流れで気軽にフラッシュバックするなんて、脳というのはちょいちょい無駄なことしてるなあ、と思う。
なんでこんなこと考えてしまうんだろう、みたいな、思考の負のサイクル。
どうしてこんなこと思い付いたんだろう、みたいな、意外すぎる連想。
これらは、一見ムダに思えてしまうのだが、進化の過程……適者生存の過程で、実装していた方がちょっとだけ生存に有利だったから、今こうして機能(?)として残っているんだろうなあ、とか、そういうことをよく考える。
ただ、人間の体に今ある機能とか構造の、すべてが「今必要だから残っている」とは限らない。
尾てい骨とか。男性の乳首とか。これらは、今必要なものというよりは、「痕跡」である。
尾てい骨なんて今ほとんど役に立っていない。体のバランスを保っているわけでもないし。造血機能にとりたてて優れているわけでもないし。
(最新の研究で尾てい骨は実は機能があると示された、みたいなことが有り得るから医学は難しいのだけれど)
男性の乳首だって、人間の体が元来「女性」として作られていて、男性ホルモンによって男性型に改変されるときに痕跡として残っただけであるから、やっぱり役に立っていない。
(男性にも愛撫の気分を味わってもらうという機能があるぞと酒の席で声高に詰め寄られたことがあり、怖かった)
今世の中にあるものがすべて役に立っているというのはある種の幻想かもしれない。
一見ムダに見えるものも、多様性の確保という意味合いで、そこにあるべくしてあるマイノリティなのだと考えるのも、ちょっとご都合主義なのかもしれない。
そうだ、幻想とかご都合主義みたいな観念って、humanだけにあるものなのだろうか?
ご都合主義なネコとか、幻想にはまるイヌというのも、いそうだけれど、どうなのだろうか?
ヒトがときおり「それはちょっと都合良すぎる考え方じゃないの?」っていう思考に落ち込んでしまうのも、適者生存の果てに残った大切な意味を持っていたりしたら、どうか?
という、「ご都合主義があるのは意味があるというご都合主義」のトートロジーに遊ぶ。これもまたおそらくは進化の末に人間の脳に残された「遊び」なのではないかと考えている。