2020年9月15日火曜日

病理の話(454) 数字をどう見るか

たとえば血圧が140と聞くと「少し高めかな」なんて感じてしまう。なんとか茶とかなんとか潤とかを摂取しないとまずいかな、なんて感じてしまう。


けれども実際には、この血圧、数字の絶対値を聞いただけでよい悪いと判断できるものでもない。


普段、血圧の上が120くらいだった人が、2年くらいかけて平均140くらいまで上がったというのなら、それは食事における塩分の量だとか、日頃の運動が不足したとか、仕事が忙しいとか、さまざまな理由で「実際に血圧が上昇しつつある」のかなと思う。


一方で、20年以上血圧の上が150,160くらいだった人が、80歳を越えて、医療者の指導を受けることになり、140くらいまで低くできてきた、というと、これは「だいぶがんばったなあ」みたいな感覚になるだろう。


(80歳以上の方の血圧をどこまで下げるべきか、については今日も新しい論文がどこかで出ているような話題なので深入りはしませんが、今日はなんとなくの感覚で読んで下さい)





数字というのは基準ではあるが、ぱっと見て「あっ高い! まずい!」とか「あっ低い! やばい!」と判断できるたぐいのものではない。そういうことはいろんな場所で語られる。「単に数字に引っ張られてはいけないよ」みたいな話を、医療に限らず、経済とか、お天気とか、いろんな場面で耳にする。


けれども人間というのは不思議なもので、特に文字として描かれている数字に異常に反応してしまうものなのだ。



5


9


6


3


と書いてあるだけでぼくらはなんとなく数字をじっと見てしまうだろう。








一方、こうしてひらがなだと「なんか無意味なことやってるな」くらいにしか思わない。ぼくらは本能的に「数字をきちんと意味としてとらえようとする」習性があるのかもしれない。だったら、そういう習性をわかった上で、あまり数字に振り回されないようにしないといけないのだ。




ちなみに5963はごくろうさんである。ほかに意味は込めなかった。





どこが病理の話なのかって?


今日、最初にブログを書き始めたとき、


”ザンクトガレン・コンセンサスミーティングで決定された、乳腺・浸潤性乳管癌の分類のためのKi-67ラベリング・インデックス、14%がカットオフ値だと言われておりみんなもそれをまじめに守っているけれど、あの14%という値が「目分量」でてきとうに決められたデータを元にしている”


という教訓めいた話をしようかと思っていたのだ。でも、数字ばかりが目を引いておもしろくない。もっと言えば、我々は海外の言葉をカタカナにすると、意味なんてまったくわからなくてもついそこに目を引き寄せられてしまう……。


これでは何も伝わらないなと思って、数字やカタカナについて考える回に切り替えたのだ。そしてぼくは「どこが病理の話なのかって?」より前にはカタカナを一文字も使わないようにした。


おそらく、なのだけれど、「ブログ」という言葉を目にしたときに、読者の多くは「無意識にハッとした」のではないかと思う。数字、カタカナには、そういう、「内容や意味とは関係なく、読む人をハッとさせる効果」があり、だから医療において数字やカタカナがいっぱい出てくると、私たちは本質が一切わかっていなくても「なんだか読んだつもり」になってしまう。


そういう回でした。チャオ