2020年9月16日水曜日

該当例がしばらくないときに書かないと角が立つ話

誰かが何かを言ったとき、特にそれが「疑問形」で語られたときに、グーグルで検索するとある程度の答えが出てくることがある。

しかし、その答えをひっさげて、悩んでいる相手に、「ほら、こういうことですよ!」と教えても、まずいいことは起こらない。

なぜなら、その相手は、グーグルで調べた結果に納得がいかなくて悩んでいるかもしれないからだ。

あるいは、その相手は、グーグルで調べた結果を踏まえてなお、一段深いところで悩んでいるかもしれないからだ。



今の時代、ネットで悩みを表明する人が、ネットで検索をしていないわけがない。

「通り一遍の検索をしても出てこないレベルの疑問」だからこそ、その人は疑問をSNSの海に流して一縷の望みにかけている。

ひととおり調べてはみたんだけど、二択問題ではない、正誤問題ではない、もう少しニュアンスの微細な部分で悩んでいる、そういう人に、

安易に「Googleで調べたら出ましたよ!」と声をかけてはいけない。

「そんなことはもうやり終わっている」のだ。







人は自分が手に入れた武器を「相手はまだ持っていないだろう」と思い込んでしまう傾向がある。よく考えたらそんなことはめったにない。なぜ自分だけがラッキーにも、他人に先んじて強力な武器を手に入れられるものだと信じられるのか?




いや、違うか、「自分だけは特別優れている」と信じなければ、「自分は先に真実にたどりつくはずだ」と心の底から確信していなければ、厳しい進化の過程を乗り越えてくることなどできなかったのかもしれない。





ネットで悩んでいる人に、Googleで調べたにすぎない浅い答えを持って嬉々としてかけつける人のアイコンはたいてい笑っている。

幸せなのだろうと思う。幸せということは生きるのがうまいのだ。すなわち生き残っていくだろう。

「そんなことはもう知ってるよ」とくり返し答えなければいけない悩める人のほうが、あるいは淘汰されていくのかもしれない。