2020年11月13日金曜日

病理の話(474) 病気のかたちをどう解析するか

人体がひどいめにあうとき、そこに「かたちのある病気」があるときと、「かたちとしては見えない病気」があるときとに分けることができる。


かたちのある病気の代表は「がん」である。でもほかにもいっぱいある。たとえばじんましんが「出る」とか、胃に「穴があく」とか、肺が「スッカスカになる」などというのは、いずれも、かたちの変化として確認することができる。


逆にかたちのない病気の代表は「高血圧」である。どこかに高血圧という物体があるわけではないし、高血圧によってただちにどこかの臓器が変形するわけでもない(※玄人向けにはもっと細かい話があるけどしない)。「高血糖」とか「高コレステロール血症」なんかもおなじだ。血液に溶け込んでいる成分の異常や、液体の流れ・分布の異常などは、「かたち」としてはわかりづらい。


「だから」かたちばかり見ていてもだめなんだよ、という考え方もある。


「でも」かたちを見ればけっこうわかる、という考え方もある。


要はいろんな見かたが必要なのだと思う。ぼくは職務として「かたちの変化をとらえる」ことをどこまでも勉強し続ける立場にいるが、「かたちではわからない病気」についても勉強しないと、ほかの医療者と話を合わせられなくなるので、がんばって両方勉強する。





さてかたちの変化をどう捉えるかについて。


まず大事なのはサイズだ。臓器にしても細胞にしても、あるいは細胞と細胞の距離関係にしても、人体というのはすべて「サイズ調整」をされている。かなり厳密に。だからこのサイズとか距離が乱れているなーと思ったらそこは絶対に見逃してはいけない。


次に大事なのは輪郭だ。心臓や肝臓や肺、あるいはウニョウニョ動くような胃や大腸も含めて、輪郭の部分が「いつも通り」なのか、「いつもと違う」のかを見極めることはとっても大事である。原則的に臓器の輪郭というのは、そのもの自体の「やわらかさ」と「張り」、「中に何が詰まっているか」、あと「重力」などによって決まっているのだけれど、そこにたとえば何か「硬く突っ張ってしまう病気」があると、輪郭が変わる。


大きめの臓器じゃなくても、細胞ひとつひとつの輪郭だって、スッとした弧を描いているときはいいのだが、カクカクと角張っていたら何かおかしいと思う。中身に何が起こったのかと考える。


そして大事なのはムラの有無だ。臓器、細胞、なににおいても言えることなのだけれど、ある程度、似たようなもの、同じような仕事をするものばかりが集まって、「似たもの同士」で仕事をするのが人体というものだ。肝臓の中には肝臓の役割を果たす細胞が集まっているし、胃には胃の役割を果たす細胞がきっちり存在する。だから、「周りとくらべて、ここだけ構成成分にムラがあるぞ」と思ったら、それは異常だ。何か普通ではないものがそこに増えていないと、そういうことは起こらない。


さらにマニアックなことをいうと、細胞どうしが作っている構造が、「ゆがみはじめている」ときは要注意。細胞というのは大工さんでもあるが部品そのものでもある。適切な量の細胞が、組み体操をしているとき、そこに秩序があれば、組み体操のピラミッドは左右対称で整ったかたちになる。しかし、中にイキった細胞が混じっていると、ピラミッドの右側だけやけに大きくなる、みたいなことが起こる。すると「左右非対称」になるだろう。そういったゆがみが積み重なると、構造が「蛇行」したり、「でこぼこ入り組み」になったりする。





これらの「かたち」を見る上で、地味に大事なのは、動きの止まった写真を見るスタイルだけでは限界があるということ。


「そのかたちが形成されるためには、どういう動きがあったのだろうか?」


と、頭の中で、ちょっと時間軸を動かす。「かたち」だけではなく「なりたち」に思いを馳せる。そうするとかなり切れ味が増す。





「なりたち」を想像する訓練には、「かたち」を見ないで病気のことを考えるといいかもしれない。すなわち、高血圧とか高血糖みたいな病気をどう想像していくかという、「かたちを考えない診断手法」を学ぶことが、めぐりめぐって「かたち」を診断することにつながっていくのではないか、と思っている。