2021年4月6日火曜日

病理の話(522) 見えないものを見ようとして

病理医が顕微鏡を覗くとき、そこに「病原性微生物」が見えることがある。

いきなりの六連続漢字では暴力っぽいので、意味をちゃんとひらこう。

病原性=病気の原因になりうる、

微生物=ちっちゃいやつ。

である。



この「病気の原因になりうる」というのがミソだ。つまり、人体には病気の原因にならない微生物だっているよね、っていう理屈が裏に隠されている。

たとえば皮膚の常在菌や腸内細菌は、体の表面(あるいは腸の表面)にくっついているけれど、体に害を及ぼさない。だから、これらを顕微鏡で発見しても驚かなくていいということになる。

ぼくらが顕微鏡で見出すべきは、病原性のある微生物だけだ! じゃあそこをきちんと見分けないとなあ。難しいなあ……。






んだけど。いや、ま、そうなんだけど。じつはこれが、不思議なことに。





病理医が皮膚や腸のプレパラートをみるとき、そこにいわゆる「常在菌」がいることは極めてまれなのである。こないだ気づいた。「あれっ、そういえば、億兆の常在菌がいるんじゃなかったっけか?」 ぜんぜんいない。

ていうか、病理医が顕微鏡を見るときにかんして言えば、「そこに菌がいるならば、たいていは病原性微生物」である。ごくわずかな例外を除くと、「菌がいればまあ病気になってるよ」という感覚がある。





あれあれ? これは、どういうことかな?





少し考えて、わかった。皮膚や腸の表面にくっついている、善良な菌(?)たちは、検体を採取したあとにホルマリン瓶にほうりこむと、そこで死んで剥がれてしまうのだ、ということに。

やや専門的な話になるのだけれど、皮膚の常在菌や腸内細菌というのは、体の表面にくっついてはいるが、自由に動ける状態というか、「しみ込んできていない」のである。だから劇薬に放り込んだ瞬間から剥がれてしまう。このため病理医はこれらの「いるはずの菌」を目視することがない。

そして、じつをいうと、病原性の微生物も、表面に「ただいる」状態では、それをぼくらが目視することは不可能なのである。たとえば食あたり……感染性腸炎で、大腸の粘膜をかじりとってきて(生検)、それを顕微鏡で見ても、腸内に増えている「悪玉細菌」はふつう、見ることができない。こいつらも常在菌といっしょで、ホルマリンに漬けたとたんに剥がれて死んでしまうのだ。




では、病理医は、感染している「悪い菌」を直接みることはまったくないのかというと……。

ある。それも、あまりうれしくない意味で。

先ほどから、常在菌も悪い菌も、表面にくっついている限りは(検体処理の際に)剥がれ落ちてしまう、と思わせぶりなことを書いている。

これは、逆にいうと、菌が体の中に「しみ込んできている」場合には、ホルマリンに漬け込んでも剥がれることがなく、組織の中に菌が見えるということだ。

ほんらい、皮膚にしても腸の粘膜にしても、「体内に変な物を入れまへんで」という物理的な防御は完璧なのである。そのバリアを破壊されて、菌が体の中に侵入してきた状態というのは、端的に言って、ヤバい。このヤバいケースで、病理医は菌を顕微鏡の中に見つけることがある。




さっきから菌、菌と書いてきたけれど、真菌なんかも見られる。寄生虫もね。体に対して攻撃を仕掛け、かつ、体に突き刺さったり潜り込んだりするタイプの病原性微生物にかんしては、ぼくらは顕微鏡で見極めることができるのだ。






ちなみにウイルスは見られません。段違いに小さいからね。でも、ウイルスが侵入したときの細胞変化を見ることはできる。けっこう工夫の余地がある。