2021年4月1日木曜日

欲望

「このブログは、朝更新するのが一番いいな」と感じている。ただし、自分がなぜそう感じているのかはイマイチわからない。ここのところはあまり考える気がしない。たぶん、わからないままにしておいていい部分なのだろうと思っている。人間、あまりこだわりのふたを開けない方が良い。閉じたままにしておいたほうが安定するものがある。密閉して低温で熟成させる。超音波とかは当てない。



ぼくのスマホにはときおりキャリアメールが届く。コンタクトレンズの会社と、回転寿司の予約に使えるウェブサービス、そしてスポーツ用品店。いずれも、日ごろ、一切使っていない。だからすぐにブロックしていい。それで何の差し支えもない。そもそもぼくは裸眼なので(メガネは伊達メガネだ)、コンタクトのメールが来る意味がわからない(いつ誰が登録したんだ)し、長いこと外食していないし、スポーツ用品なんて買わない。しかし、使い途のないこれらのメールをブロックせず、着信するままにしてある。明確な理由はない。ぼくはアプリ等の通知をかなり細やかに管理するほうだから自分でも不思議ではある。「なんとかしてもいいのに、なんともしていないなあ。」とはっきり気づいていながら、そのまま。ahamoがはじまって、キャリアメールが廃止されたら、これらのメールも届かなくなるんだよな、と思って少しさみしい思いすらしている。

一連の感情は言語化し切っていない。メカニズムを追いかける気にもならない。



「えっ、そういう中途半端な状態に耐えられるんですね」

みたいなことを言われることがある。もう少し自分を完璧にコントロールしたがるタイプだと思っていました、という言葉を耳にする。コントロールしたいと思うのは、自分から発せられて明らかに人に向かって飛んでいる部分くらいだ。それは礼儀としてやっておきたい。しかし、「にじみ出てしまって、届いてしまうもの」まではコントロールできると思っていない。どちらかというと、操作にかんする「不全感」を抱えたままでいたい。根源的な欲求のレベルで、ある種の「未解決」を望んでいる。



「放置したままで、少し腐敗しかかっている部分」のようなものを、ときおり求める。職場でも家でも、部屋の中はきれいで、机の上も整然としており、PCのデスクトップもスカスカで、「仕事ができる男は机がきたない」みたいな発言は生理的に無理。それなのに、精神の一部が無解釈で放置されている状態をどこかに残しておいたほうがいい、そういう信念が、ほどよいきれい好き感覚と矛盾無く存在する。



最後まで言語化しないままに終わりたい。ただし「取っ手」をひとつ付けておく。ぼくは、単純な系である限りは心ゆくまで整頓する。なぜか。複雑系が整理できるわけがないだろうと「言いたい」のだと思う。「単純じゃないものを扱っているんだよ」と、「言いたい」のだと思う。ここまでにしておく。