2021年4月27日火曜日

登山家どうし仲良くしてね

DeepLという翻訳サービス(アプリ)がある。これとgrammary(の有料版)という文法校正ソフトを使えばだいぶ戦える、という内容のツイートを見た。まったくだな、と思う。医学論文をいちから書くときにはこれらのツールはとても便利だ。


しかしこのようなことをつぶやくと、本家本元の翻訳者の方々が、「あんなソフト、翻訳の入り口にも立っていませんよ」と指摘してくる。まあそれはそうなのだろうと思う。翻訳という仕事自体はほんとうに奥が深い。現在のAI翻訳程度ではまるでニュアンスが伝わらないんだろうなってことは肌身で感じる。


参考: 翻訳 訳すことのストラテジー

https://www.amazon.co.jp/dp/4560096856/ref=cm_sw_r_tw_dp_CWEAMANMM02GWR4DBGT7


先日、アカデミー賞をとった映画の中に出てくるセリフを紹介する本を買った。英文と日本語とを比べるとまるで違うことを書いていることに気づいて笑ってしまったし、読み比べるのがおもしろくて仕方ない。そのセリフを直訳しても絶対にこの日本語にはならない。直訳だとおそらくそのシーンで役者が、さらには脚本が言いたいことはまるで伝わらないだろう。


参考: その悩みの答え、アカデミー賞映画にありますhttps://www.amazon.co.jp/dp/4860295021/ref=cm_sw_r_tw_dp_2D5C9JQB6DBQYCXG8DG6 




ただし。

科学者は、英語を用いて「ニュアンスの話」をしたいわけではない。学術論文において、科学の論理が正しく伝わるかどうか考えるとき、DeepLとgrammaryの併せ技以上のAIを絶対に作るべきだ、とはぼくはあまり思わない。このふたつでたたき台を作ってしまえば、あとは英文「翻訳」ではなく英文「校正」をネイティブ研究者たちに有料でお願いするだけで十分通じる論文が書き上がる。

なにせ、英文論文でやりとりする相手が英語ネイティブの人たちとは限らない。ブエノスアイレスの学者もニースの研究者もハバロフスクの医者も重慶のポスドクも、母語に比べれば使い慣れていない第二言語を使って学術を行う。「翻訳AIでは拾いきれないようなニュアンス」を練り込んだ英文論文を書く生命科学者がどれだけいるだろうか? いい文章だなあと感心されたところで、他国の研究者に細やかさが伝わらないものを書けば学術の結果を引用される回数も減るから本末転倒であろう。文学や哲学の研究であればともかく、生命科学論文の文章は「ネイティブスピーカーでなくても意味をくみ取れる」ことが必要だ。


DeepLで書いた論文をネイティブに校正してもらって投稿。「ネイティブに校正してもらって」の部分を省略できる日が来たら、そのときは「AIの翻訳すごいなあ」と言えるだろう。これは翻訳者たちが言うとおり、まだ無理である。人力の校正なしで、DeepLとgrammary有料版だけで投稿する論文は編集部からはじかれてもしょうがない。ただし、「ネイティブやプロの翻訳者に最初から翻訳してもらわなければいけない」とまでは思わない。そこまですると研究費がいくらあっても足りないという悲しい現実もある。


翻訳者の中にはDeepLなどの実力を思い切り低く見積もって「あんなのは翻訳の入り口にも立っていない」と言ったりするが、少なくとも生命科学のジャンルにいるぼくは、DeepLもgrammaryも、十分「コミュニケーションの入り口に立っている」とみなしていいと思う。コミュニケーションという山をのぼるとき、初心者向けの登山道の入り口にDeepLが立ったからどうだというのだ。それでプロの翻訳者たちの矜持が折られるわけではない。プロにしか登れない山道、ロッククライミングのような激しい道からしか見られない景色、感じられない体験の価値は一向に揺るがない。だからあなた方はもう少し仲良くしてねと思うことがある。余計なお世話ではあるだろうが。